とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

自由権以外の基本権

こんにちは。冨樫純です。

 


法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


自由権以外の基本権

 


自由権以外の権利を基本権として認めるかどうかは、リバタリアンの中でも見解が分かれる。

 


一部の無政府主義者最小国家論者はそれを一切認めようとしない。

 


しかし古典的自由主義者は、自由権に加えて最小限度の請求権としての生存権を基本権の中に含めるだろう。

 


誰にせよ、自分のせいでなしに、極めて悲惨な生活を余儀なくされるべきではない、最低限の生活は保障されるべきだ、という判断は、自己所有権同様、道徳的直観に訴えかけるだろう。

 


もし国家がなかったら、余裕のある人は悲惨な生活を送っている人を援助する義務があるということになるだろう。

 


リバタリアンの中には、政府が存在しない社会で

は相互扶助や貧困者救済のための組織が発達するから、誰もが生きていける、と考える人が多い。

 


私はこのような推測に反対する者ではないが、最低限の生存権を法的に認めることは必要だろうと考える。

 


なぜなら、いくらリバタリアンな社会で困窮者が事実上少なくなるにしても、相互扶助や救済事業の網の目からこぼれ落ちる人がいるかもしれないからである。

 


生存権以外にも、事実に反する誹謗中傷に対する権利のように、自己所有権に還元でき、ある程度の人格権も基本権として認められるかもしれない。

 


このようにして自己所有権以外の権利も基本権として認めると、それらの間の調整が問題になってくる。

 


自己所有権しか認めないリバタリアニズムの方がこの点は明快だが、その代わり説得力が弱くなっ

てしまうだろう。

 


私は基本権相互のある程度の衝突と制限は避けられないとして、自己所有権以外の基本権も認めるべきだと考える。

 


感想

 


政府が存在しない社会では相互扶助や貧困者救済のための組織が発達するから、誰もが生きていける、と考える人が多いという箇所を読んで、少し疑問に思いました。

 


本当に相互扶助や貧困者救済のための組織が発達するだろうかという疑問です。

 


下記の本を參考にしました

 


『自由はどこまで可能か』

 リバタリアニズム入門

 森村 進

 講談社現代新書

 

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