とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

情報をコントロールする権利

こんにちは。冨樫純です。

 


法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


プライバシーが自由権に含まれないとき

 


他者 (政府を含む)に対して積極的な行為を要求する請求権は、自由権の中に含まれない。

 


それは他人の自由を制約する権利だからである。

 


生存権や福祉給付への権利のような、いわゆる「社会権」が自由権とは別物であることは広く認められている。

 


しかし、プライバシーや名誉や肖像権などのいわゆる「人格権」、他人の自由を制約する権利だということは、見逃されることが多い。

 


このことが十分認識されていないのは、プライバシーが元来は「一人で放っておかれる権利」として自由権的に把握されていたという事情によるところが大きい。

 


勝手に私宅や自分の部屋や私的コミュニケーション(たとえば電話)に立ち入られないというプライバシーは、確かに自由権である。

 


しかしプライバシーの概念が拡張されて、「自分に関する情報をコントロールする権利」として理解されると、それは自由権の領域を超えて、逆に他の人々の自由を制約することになるのである。

 


たとえば、前科は「その者の名誉や信用に直接かかわる事項であるから、その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有する」という最高裁判例がある(平成六年二月八日第三小法廷)。

 


しかし、前科の公表は何ら本人の自由も財産も侵害するものではない。名誉や信用は本人についての他の人々の評価である。

 


誤った誹謗中傷に対しては損害賠償請求が認められるかもしれないが、自分の知られたくない事実を公表されない権利などというものを認めることは、人権思想に批判的な人々が嘆く 「権利のインフレ」の典型といえる。

 


感想

 


プライバシーの概念が拡張されて、「自分に関する情報をコントロールする権利」として理解されると、それは自由権の領域を超えて、逆に他の人々の自由を制約することになるのである。

 


という箇所がおもしろいと思いました。

 


たしかに、情報をコントロールする権利としての側面はあると思いました。

 


下記の本を參考にしました

 


『自由はどこまで可能か』

 リバタリアニズム入門

 森村 進

 講談社現代新書

 

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