とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

刑罰か損害賠償か

こんにちは。冨樫純です。

 


法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


加害者と被害者の権利の不公平

 


バーネットの言う、刑罰制度を廃止して被害者への損害賠償だけに一元化すべきだという主張は、最終的には説得力がなかった。

 


しかし、この説が被害者の救済を何よりも重視している点は見習うべきである。

 


不法行為による損害賠償を加害者たる被告人から取りたてることは、現行の刑事訴訟制度においては困難である。

 


特に被告人の資力が乏しい場合、国家は加害者を刑務所に送ることによって、加害者が働いて損害賠償を支払う機会を失わせるからである。

 


刑罰制度は被害者の救済を助けるどころか、逆に妨げている。

 


興味深いことに、リバタリアンの中には、この点でアメリカよりも日本の刑事法制度の方が被害者の権利をよく保護していると主張する論者もいる。

 


法現象に関心を持つ経済学者のブルース・ベンソンは「奉仕と保護刑事司法における民営化と共同体』(1998年、未邦訳)という本の中で、日本の刑事裁判ではアメリカと違って、被告人が悪い環境で育ったなどという言い訳が責任減軽事由としてほとんど通用せず、また被告人と検察官との間のプリー・バーゲニング(有罪答弁取引)も存在しない一方、犯人が犯行を自白し、真摯に後悔して、被害者側に謝罪・賠償しその許しを得るということが起訴の有無や量刑において重要な役割を果たすといった事実を指摘する。

 


起訴と裁判は、アメリカのように被害者無視の被告人と国との間の取引ではなく、被害者と被告人との間の取引になると言うのである。

 


ベンソンはまた、日本では犯罪を抑止しているのは、政府よりもむしろ家庭や職場や地域における社会的圧力だとも述べ、この点でも日本の方を高く評価している。

 


しかし、ベンソンの言うように、日本の刑事司法の方がアメリカに比べて被害者の立場を相対的に尊重しているとしても、それに満足すべきだというわけではない。

 


日本の制度は、刑事司法の中で幾分かは被害者とその家族の感情を考慮に入れているとはいえ、権利侵害への救済を重視しているとはいえないのである。

 


すでに述べたように、加害者の処罰それ自体によって、被害者は賠償を得ることが困難になってしまう。

 


それゆえ、加害者が損害賠償をしない場合には、加害者を強制的に働かせてその賃金を被害者の救済に充てるというバーネットの提案は、彼の刑罰廃止論を全面的に受け入れずに抑止刑の制度を残すとしても、取り入れる理由がある。

 


一般的に言って、刑罰よりも損害賠償を優先させるべきなのである。そしてそれが実現されれば、刑事裁判の目的は犯人の処罰による犯行の抑止に純化され、そこでは被害者側の感情を顧慮する必要もない。

 


感想

 


特に被告人の資力が乏しい場合、国家は加害者を刑務所に送ることによって、加害者が働いて損害賠償を支払う機会を失わせるからである。

 


刑罰制度は被害者の救済を助けるどころか、逆に妨げている。

 


と箇所がおもしろいと思いました。

 


刑罰が望ましい制度ではないかもしれません。

 


下記の本を參考にしました

 


『自由はどこまで可能か』

 リバタリアニズム入門

 森村 進

 講談社現代新書

 

flier(フライヤー)