とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

刑罰の必要性

こんにちは。冨樫純です。

 


法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


社会全体の受ける被害

 


確かに「被害者なき犯罪」の多くは非犯罪化すべきかもしれない。

 


しかし、第一に、社会に対する犯罪、あるいは国家に対する犯罪として分類されるいくつかの犯罪は、結局は、社会を構成する諸個人が被害者になる。

 


この場合、被害が極めて多数の人々の間で分散さ

れ、個々人の被害額が少額になるため、個人的に損害賠償を請求することが割に合わない。

 


たとえば贈収賄は権力の不公正な行使によって特定の個人や団体に利益を与え、納税者全体には損害を与えるが、個々の納税者が損害賠償を請求することを期待できないし、そもそも被害額の算定も困難である。

 


リバタリアンもこのような行為は禁止されるべきであると考えるだろうが、そのためには損害賠償だけでは不十分で、刑罰による事前の禁止が必要と考えられるのである。

 


第二に、この点と関連して、個人の権利を侵害する行為でも、単に直接の被害者に損失を与えるだけでなく、社会を構成する他の人々にも損害を与える場合がある。

 


たとえば連続強盗犯や殺人犯は、犯行が行われた地域全体を不安に陥れる。このような不安も個人の人身や自由や財産への侵害だと考えれば、その地域の人々は損害賠償を請求することもできるはずだ。

 


しかしそれが現実には困難だとしたら、刑罰による禁止は正当化できるだろう。

 


第三に、相手を狙って撃ったピストルの弾がそれた場合のように、行為者が権利侵害を試み、その結果を実現できなかった未遂の処罰が問題になる。

 


今検討している見解によると、この場合は結局誰の権利も侵害されなかったのだから、何もする必要はないということになってしまう。

 


この結論に納得できない人は多いだろう。危うく被害を受けそうになった人は、現実の損失ではなくても「危険」という形で損害を受けたのだから、何らかの損害賠償を受ける権利があるという考えも出てくるかもしれない。

 


感想

 


刑罰は、やはり必要だと思いました。

 


社会的に必要なんだと思います。

 


下記の本を參考にしました

 


『自由はどこまで可能か』

 リバタリアニズム入門

 森村 進

 講談社現代新書

 

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