こんにちは。冨樫純です。
法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
死という損害への賠償
人身にかかわる損害の場合、その賠償責任の画定は一層困難になる。 しかしこの困難は現在の損害賠償制度の下でも避けられないところである。
損害賠償の方法や額については、その社会の慣習や判例に委ねるしかないだろう。
しかし、もっとも判断が難しいのは、被害者を死なせてしまった場合である。
この場合、いかなる方法でも被害者本人に対して賠償ができないが、刑罰制度があれば加害者はともかく刑事罰を受けることになる。
ところが刑罰が廃止されると、加害者は被害者の遺族(もし存在すれば)の蒙った損害を賠償するだけで済んでしまうことになる。
この帰結は、正義に反すると考えられるかもしれない。
独自のアナルコ・キャピタリズムを唱える笠井潔は、通常の意味での刑罰の廃止を唱えるが、殺人犯に対しては「個人が私的な報復に走らないための保障として、決闘の権利を回復する必要がある。
決闘は体力や武器を扱う技術の不平等を考慮して、ロシアン・ルーット方式が適当だろう」と言っている。
「自分の生命を危険にさらしても、それでも被害
者のために報復したいと決意した個人にのみ、報復を実行する権利は与えられる」というのである。
大変興味深い提案だが、被害者自身でない人に決闘への権利を与えるほど、被害者の親族や友人の報復感情を尊重しなければならないのかという疑問も生じる。
感想
「自分の生命を危険にさらしても、それでも被害者のために報復したいと決意した個人にのみ、報復を実行する権利は与えられる」という考え方が極端ですが、おもしろいと思いました。
下記の本を參考にしました
『自由はどこまで可能か』
リバタリアニズム入門
森村 進