こんにちは。冨樫純です。
法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
非効率な裁判
裁判の非効率性については古来多くのことが書かれてきたが、今日の日本ほどこの認識が共有されている社会は少ないだろう。
裁判には長い時間がかかり、しかも判決が出ても
権利の実現の役には立たない。
裁判がいかに権利の保護・実現に役立っていないかを生々しく書いた山口宏・副島隆彦『裁判の秘密』(洋泉社)は、日本の経済生活を支えているのは、国家の用意する法制度ではなく、「約束は守るべきだ」という人々の意識だと主張している。
そのような意識の中には、「他人の財産は尊重すべきだ」「人に加えた損害は賠償しなければならない」というものもあるだろう。
それぞれ異なった利害を持つ人々が共存できるのは、政府や国家によるよりも、人々の自発的な相互行為によるところが大きい。
国家が現実に行っていることは、その社会的協力から生じた富を税金という形で吸い上げて再分配することであって、人々の権利の保護は国家の活動の中でごく一部を占めるにすぎないのである。
しかし最近、日本でもようやく裁判制度改革への動きが見られるようになった。
たとえば司法試験の合格者を飛躍的に増やし、法律家不足と訴訟遅延を解消するといった提案は
評価できる。
むしろ司法試験を資格試験と考えれば、一定の能力を示した受験者はすべて合格させるべきで、定員を考える必要はない。弁護士が「過剰」に供給される心配もあるだろうが、弁護士ではやっていけないと、廃業する人がおのずと出てくるだろう。
もっとラディカルなリバタリアニズムの立場に立てば、特定の法的業務を法律家だけに独占させること自体が不当である、という議論もできる。
人は自分の判断で法律専門家を雇い(そのためには広告活動も自由でなければならない)、あるいは雇わずに自分で法律実務を行うことも許されるべきだ、ということになる。
感想
特定の法的業務を法律家だけに独占させること自体が不当である、という議論もできる。
という箇所がおもしろいと思いました。
これは医者にも言えることだと思います。
下記の本を參考にしました
『自由はどこまで可能か』
リバタリアニズム入門
森村 進