とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

民間による代替的紛争サービス

こんにちは。冨樫純です。

 


法哲学に興味があり、それに関連する本を読んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


民間による代替的紛争サービス

 


訴訟遅延は確かに重大な問題だが、法的サービスは国家しか提供できないものではない。

 


アメリカのリバタリアンは、紛争の解決は民間でもできるという発想から、専門的な民間の第三者による仲裁や和解といった「代替的紛争解決」(オルタナティヴ・ディスピュート・レゾリューション。略してADR)のサービスを高く評価している。

 


アメリカにはADRを行う大きな会社や非営利組織が多数活動していて、利用者の満足を得ている。

 


ADRが出した裁定は裁判所の判決と同様、債務名義(強制執行を可能にする文書)となる。

 


紛争当事者は「無料」の公的裁判の代わりにADR会社の有料サービスを買うが、その速さのため結局ははるかに安くつく。

 


ADRの手続きは公開されないという点に魅力を見出す人も多いだろう。そして不公正だという評判があるADR機関を利用して紛争を解決しようとする人はいないだろうから、サービスの公正も守られる。

 


国家が裁判の機能を独占していると、人々は紛争を解決するために、不公平だとか不効率だとか感じていても裁判所に訴えるしかないが、複数 ADR機関が競争しているところでは、当事者の合意さえあればどこにでも紛争の解決を委ねられ、もっともADR制度がいかに発展しても、どの機関の裁定でも勝ち目がないといった理由や、時間を稼ぐなどの目的から、ADRによる紛争解決も当事者間における和解も避けようとする人々はいるだろう。

 


そういった場合を考えると、誰でも提訴に応じなければならないという特徴を持っているので、公的な裁判所は最後の手段としてなお必要とされるだろう。

 


ただし、たとえ裁判が安く速くなっても、その判決が実効性を持たなければ意味がない。

 


債務者が強制執行をたやすく免れられるようでは困る。リバタリアニズムがこの問題についてどんなことを提案できるか確信は持てないが、おそらくそれは、現在認められている以上に正当防衛や自力救済の正当性を広く認めようとするだろう。

 


正当な権利者が国家の手を借りずに自分の権利を守ろうとすることは、その行為が暴力を伴ったり第三者の権利を侵害したりしない限り、積極的に認められるべきである。

 


特に、国家による保護を待っていたのでは手後れとなる場合は。

 


感想

 


裁判以外の紛争解決は確かに必要かも知れないと思いました。

 


下記の本を參考にしました

 


『自由はどこまで可能か』

 リバタリアニズム入門

 森村 進

 講談社現代新書

 

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