とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

「悪い」と判断するには根拠が必要

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、倫理学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


規範的な言葉の用法 態度表現

 


たとえば、阪本さんと東雲さんという二人の人物が、肉食について議論しているとしましょう。

 


ここで、阪本さんが「動物を食べることは悪い」と東雲さんに言ったとします。 態度や感情の表現としての規範的な言葉という考え方によれば、ここでの「悪い」は、動物を食べることについての阪本さんの強い否定的感情を表しています。

 


阪本さんはおそらく動物を食べることに強い嫌悪感や怒りを覚えているのでしょう。逆に「動物を保護する活動は良い」と言う場合には、その活動に強い肯定感や好意を覚えているのかもしれません。

 


自分たちの発言を振り返ってみれば、このような意味で「悪い」や「~してはならない」という言葉を使っている場面は、確かにあるように思われます。

 


「それって悪いことだよ」などと言うことで、対象についてのネガティブな態度を表明することは容易に想像できます。

 


しかし、同時に、いつでもそのような意味で「悪い」という言葉を使っているだろうか、と言われると疑問がわきます。

 


たとえば、東雲さんが「動物を食べることが悪いことなんだったら、焼肉を食べることは悪いことになってしまう」と言ったとしましょう。

 


ここで東雲さんは「悪い」という言葉を使っていますが、このときに東雲さんが阪本さんのように怒りや嫌悪感といった感情を表現しているとは限りません。

 


また、何度か登場している、人それぞれで済ませられない、押しつけたくなる、ということの問題もあります。

 


私たちは普通、好き嫌いなどの感情に基づく態度については、たとえ相手の感じ方が自分の感じ方とは違っても、それはそれでいいと考えています。

 


「え、どうして猫を嫌いなの、可愛いじゃない」程度の会話をすることはありますが、最終的に「嫌いなものは嫌いなんだよ」と言われたら、それ以上食い下がっても仕方がありませんし、一緒

に猫を飼うのは諦めるしかないでしょう。

 


たいていの人は、「そっか、嫌いなんだな」「まあ好き嫌いは人それぞれだから仕方がない」で済ませるでしょう。

 


趣味や好みの場合は、相手が納得するまで自分の考えを正当化する必要はありませんし、どちらかが正しいとか間違っているとかを決める必要はないのです。

 


しかし、「悪い」はどうでしょうか。 子どもに言いきかせるならともかく、お互いに十分にものを考える力を備えた大人同士の会話において、「悪いものは悪いんだよ」という発言が、相手を引き下がらせる言葉になるとは思えません。

 


東雲さんが「動物虐待は何も悪くない」と言い出したときに、阪本さんとしては、「まあ、善悪は人それぞれだから仕方がない」と言って、東雲さんが猫の尻尾を引っ張るのを眺めているわけにはいかないのです。

 


むしろ、「あなたの個人的な感情はともかく、虐待は絶対にしてはいけないことでしょう」とすら思うかもしれません。

 


ここには、「悪い」という規範的な言葉は、特に倫理の文脈で使われるときは、何か、好き嫌いのような感情的な反応以上の何かを表している、人それぞれだから仕方がないと簡単に済ますわけにはいかないような何かを表している、という示

唆があります。

 


そして、さらに言えば、このことは、誰かの振る舞いを悪いと言うときには、何らかの根拠や正当化が必要だと、私たちが考えていることを示しています。

 


この点は、感情を表す言葉が、たいてい実際に私たちがそう感じるという以上の根拠を求められないことと対照的です。

 


感想

 


「悪い」という規範的な言葉は、特に倫理の文脈で使われるときは、何か、好き嫌いのような感情的な反応以上の何かを表している、人それぞれだから仕方がないと簡単に済ますわけにはいかないような何かを表している、という示唆があります。

 


そして、さらに言えば、このことは、誰かの振る舞いを悪いと言うときには、何らかの根拠や正当化が必要だと、私たちが考えていることを示しています。

 


という箇所がおもしろいと思いました。

 


特に、「悪い」という判断がある時には、根拠が必要だという箇所が説得力があると思います。

 


下記の本を参考にしました

 


『「倫理の問題」とはなにか』

 メタ倫理学から考える

 佐藤岳詩著

 光文社新書

 

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