とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

助言の前提にあるもの

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、倫理学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


規範的な言葉の用法  助言、推奨

 


今、東雲さん自身が動物を食べようかどうかと逡巡しているという場面に際して、食べない方を選ぶようにと助言するのが、「動物を食べることは悪い」という発言だ、ということになります。

 


行為選択の場面で働くのが規範的な言葉ということです。

 


助言をすることの一つのポイントは、それが本当に助言であるならば、基本的には話し手自身がその中身を(自分または聞き手にとって、あるいはそれ自体として) 重要なことだと本当に信じた上での示唆でなければならない、ということがあります。

 


そうでなければ、助言という形をとりながら、相手を騙したり、適当なことを言ったりしていることになるでしょう。

 


したがって、この助言という捉え方では、阪本さんは肉食が本当に悪いことだと信じ、そのような悪いことは避けた方が本当に東雲さんのためになると思って、「肉食は悪い」と言っているのです。

 


そのため、助言や推奨として規範的な言葉を使うことは、同時に、自分が受け容れているルールを表すことでもあります。

 


すなわち、阪本さんが「動物の肉を食べることは悪いことだ」と言うことは、阪本さん自身が、動物の肉を食べないというルールを受け容れていることの示唆になります。

 


あるいは、判断を下したり、助言をしたりしようとすること自体が、自分が受け容れられるルールを作り、確かめていく作業でもあります。

 


阪本さんは東雲さんに助言を試みるなかで、それまで自分でも深く考えたことがなかった自分自身の動物に対する態度を確認することになるかもしれません。

 


そして東雲さんは、この助言を聞いて、「阪本さんは肉を食べない(というルールを採用している)んだな」と自然に推定することができます。

 


感想

 


判断を下したり、助言をしたりしようとすること自体が、自分が受け容れられるルールを作り、確かめていく作業でもあります。

 


という箇所がおもしろいと思いました。

 


無意識のうちにルールを前提にしているようです。

 


下記の本を参考にしました

 


『「倫理の問題」とはなにか』

 メタ倫理学から考える

 佐藤岳詩著

 光文社新書

 

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