こんにちは。冨樫純です。
独学で、倫理学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
証言的不正義という悪徳
証言的正義についての理解を深めるために、そうした徳とは逆の悪徳、証言的「不」正義について考えてみましょう。
フリッカーは、私たちは様々な偏見のために話し手の信頼可能性を不当に低く見積もることがある、と述べます。
たとえば、話し手が訛っていたり、たどたどしく話したりするというだけで、聞き手は、相手の話の信頼度を下げることがあります。
さらに、特定の地域の出身であること、特定の人種であること、特定の宗教を信じていること、特定の年齢であること、特定の性別であることなど、様々な偏見から、聞き手は話し手の発言を十分に真剣に受け取らないことがあります。
「この人は○○だから、話は割り引いて聞けばいいや」「この人は○○だから、どうせ嘘だろう」「この人は○○だから、どうせ本当のことなど分かっていないに違いない」という態度で、話し手の発言を聞いてしまうこと、それが証言的不正義です。
あるいは、情報さえ引き出せればいいや、という態度で、相手を単なる機械、検索エンジンのように扱うことも、モノ化(objectification) という仕方で、証言的不正義をなしています。
感想
私たちは様々な偏見のために話し手の信頼可能性を不当に低く見積もることがある。
たとえば、話し手が訛っていたり、たどたどしく話したりするというだけで、聞き手は、相手の話の信頼度を下げることがあります。
という箇所がおもしろいと思いました。
たしかに、こういうことはあると思います。
下記の本を参考にしました
『「倫理の問題」とはなにか』
メタ倫理学から考える
佐藤岳詩著