とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

やはり深刻さは重要

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、倫理学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


フットの立場の深化「人間にとって良いこと、害あること」

 


さて、もう一度、縁石の話に戻りましょう。ここでフットの立場に一つ疑問が生じます。

 


すなわち、フット自身は深刻さという基準で道徳を捉えていたのではなかったのか、という点です。

 


実際、深刻さの基準だけで言うなら、縁石を踏み越えないことも、拍手をすることも、道徳になり得るように見えます。

 


この点について、実際、フットの立場は少し、変化しているようです。

 


すなわち、彼女は以前の立場のように中身を問わないという立場をやめ、特定の文脈を背景に持つ場合にのみ事柄は道徳の問題になるという立場に、自分の主張を改めました。その文脈というのは「人間にとって良いこと、害あること」というものです。

 


ここでの人間とは個人というよりは 、どちらかと言えば、生き物としての、種としての人間を指します。

 


たとえば、人間には水や食料が必要ですし、それ以外に衣服や住居も必要でしょう。

 


理性的で社会的な存在である人間が十全に生きていくことに資するものが道徳的な善であり、それを阻害するものが道徳的な悪です。

 


衣食住に加えて、健康や共同体、健全な自尊心などは良いものであるでしょうし、飢餓や孤立、過剰な卑下などは害あるもので、悪いものという

ことになります。

 


したがって、後年のフットはある事柄が道徳的かどうかの判定に際してその中身は問われないという立場から、「人間にとって良いこと、害あること」という特定の文脈にそった中身を持っているかどうかによって、道徳性の判定をするという立場に移行していきました。

 


そしてこの良いことと害あることは、この地球という環境で生活を営む生き物としての人間の在り方によって決まります。

 


とはいえ、その良いことが奪われたり、害あることが押しつけられたりしそうなときにこそ、倫理の問題が立ち上がるという根本的なところは、初期の立場と一緒です。

 


むしろ、私たちにとって深刻で重要なものはどうやって決まるのか、というところに生物としての生き物という要素を置くことで、重要性基準をより洗練されたものにしたと言えるかもしれませ

ん。

 


感想

 


フットも道徳にとって深刻さは、重要だと考えるようになったと解釈しました。

 


下記の本を参考にしました

 


『「倫理の問題」とはなにか』

 メタ倫理学から考える

 佐藤岳詩著

 光文社新書

 

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