とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

他者からの批判

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、倫理学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


テイラーの「ほんものという倫理」

 


ウィリアムズも当該箇所で引用している政治哲学者、チャールズ・テイラー(1931‐)もまた『「ほんもの」という倫理』(1991)という著作の中で、この「本当の」という概念について、検討しています。

 


テイラーによれば、唯一絶対の真理は存在しないという考えは、現代の人々によって広く信じられるにつれ、徐々に他人の道徳に口出しをすべきではないという考え方と結びついていきました。

 


その結果、自分自身に対して「本当」であることこそが、 そしてそれだけが、私たちの目指すべき理想と考えられるようになりました

 


要するに、人々に共通の客観的な正解は存在しないんだから、他人への口出しはやめて、自分のことだけ考えればいいよ、本当の自分がしたいことだけをしなよ。そういう倫理観が人々の間に蔓延していった、ということです。

 


こうした「本当の自分」を唯一の理想とする現代の考え方は、ともすれば「自分自身に忠実であれ」「私らしさ」「自分のやり方で人生を送る」「やりたいようにやれ」といった標語で表され、明に暗に称揚されます。

 


しかし、テイラーに言わせれば、こうした自己完結的でナルシシズム的な在り方は、結局のところ、底が浅く、陳腐なものです。 それは、「本当の私」を求めることが悪いというわけではありません。

 


そうではなく、彼が言いたいのは、そのやり方では本当の私は手に入らない、ということです。

 


テイラーの考えでは、本当の私、アイデンティティは、むしろ、自分を超えたもの、他者、そういった新たな地平との関係によってしか、見出すことができないものです。

 


私たちは、自分とは違うもの、異質なものとの出会いによってこそ、自分を知ります。

 


他者とのぶつかり合いのなかで生まれたアイデンティティは強固で、私たちを導く指針ともなります。

 


たとえば、予想とは違うところから意見を投げかけられたとき、少し厳しい批判的な意見を投げかけられたとき、私たちはあたふたしながら、しどろもどろの回答をするかもしれません。

 


しかし、後で振り返ってみたなら、その精一杯の回答のなかには、普段の自分の口からは出てこないけれども、何かしっくりくるような言葉が含まれていた、ということは往々にしてあるものです。

 


そのような他者との出逢いは、私たちの「自分はこんな人間だ」という自己理解の殻を破り、新たな自分への気づきをもたらしてくれます。

 


それは本当の自分の可能性、自分にはこんなこともできたんだ、という発見を通じて、自尊心と自己肯定感を得ることにもつながっていくのです。

 


しかし、ナルシシズム的な 「本当」の理想のなかではそうした出会いは歪められてしまい、他者は自分自身の承認欲求を満たすだけの道具として消費されてしまいます。自分自身が褒めてほしいところだけを的確に空気を読んで褒めてくれる人たちとだけ付き合っているのでは、現在の自分の自己理解が自分の願望に基づいて塗り固められていくだけで、自分の本当の良さに気づくこともできません。

 


私たちの身の周りの人々は、自分の欲求を満たすための単なる手段ではありません。むしろ、ときには厳しいことも言う、自分の思い通りにはならない人々との深い交わりのなかで、「本当の自分」も生み出されているのだと気づく必要がある、とテイラーは説くのです。

 


ウィリアムズもまた、自分一人で、確固とした自分のアイデンティティ、自分らしさを保持することはできないと考えていました。

 


実際のところ、自分自身にとっても自分という存

在は透明ではないし、常に首尾一貫した自己などというものは存在しません。私たちは他者と相互にかかわりあいながら、自分という比較的安定したアイデンティティを作り上げていく他ないのです。

 


そして、このとき、願望と空想に流されず、それらに抵抗する信実という態度がないと、結局のところ、安定した自己を得ることはできず、最終的にはそれは倫理的、社会的な悲劇につながってしまうのです。

 


感想

 


ナルシシズム的な 「本当」の理想のなかではそうした出会いは歪められてしまい、他者は自分自身の承認欲求を満たすだけの道具として消費されてしまいます。自分自身が褒めてほしいところだけを的確に空気を読んで褒めてくれる人たちとだけ付き合っているのでは、現在の自分の自己理解が自分の願望に基づいて塗り固められていくだけで、自分の本当の良さに気づくこともできませんという箇所が印象的でした。

 


批判してくれる人がいて、自分が見えてくることもあるとぼくも思います。

 


下記の本を参考にしました

 


『「倫理の問題」とはなにか』

 メタ倫理学から考える

 佐藤岳詩著

 光文社新書

 

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