こんにちは。冨樫純です。
独学で、倫理学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
証言的不正義を脱するには
様々な偏見のために話し手の信頼可能性を不当に低く見積もる認識的不正義を、私たちはどのようにして脱し、認識的正義の徳を身につけることができるでしょうか。
フリッカーは、それは容易ではないと言います。先に述べたように、偏見は意図よりも手前、前意識的なレベルで働きます。
それを取り去るには、強い意志と幸運が必要です。
私たちにできるのは、自分に偏見があるのではないかと反省し、自分に対する批判的な気づきを常に持とうとすることです。 少しでもひっかかりを覚えたら、そのことを徹底的に考えてみる。
自分は不当に相手の言うことを歪めたり、割り引いて聞いたりしてはいないか内省してみる。
仮に偏見すべてをなくせないとしても、私はあなたを人間として扱う、あなたの言うことを聞こうとしている、という態度を示そうとすることが、認識的正義を身につけるための第一歩です。
感想
偏見は無意識に働くこともあると思うので、脱するのは中々難しいと思います。
下記の本を参考にしました
『「倫理の問題」とはなにか』
メタ倫理学から考える
佐藤岳詩著