こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的に関心のある話題を取り上げて、紹介したいと思います。
感想も書きたいと思います。
話題 プラトンの対話篇
コミュニケーションにはさまざまな形があるが、もっとも基本的なのは対話というコミュニケーションであるといわれる。
国際間の外交関係などに関しても「もっと対話を」などといわれることはあるが、本来、対話
とは比較的少数の個人が互いに言葉を交わすことを意味する。
この対話という形式をコミュニケーションの基本型として、また真理や合意に到達する方法として自覚的に重視し始めたのは古代ギリシャの哲学者たち、とりわけソクラテスであった。
ソクラテスの実践は、弟子のプラトンによって理念化され、多くの対話篇として後世に伝えられ、西洋哲学の源流となった。
プラトンの対話篇では、ソクラテスを中心とする登場人物たちが、たとえば「愛について」「勇気について」「徳について」など、さまざまな主題をめぐって対話を交わすことによって、問題点が明らかにされ、常識的・通念的な理解を超えた結論が導かれる。
プラトンによると、対話というものの原型は自分自身を相手とする対話である。
そして、それは「心が思考しているときの姿」を示している。
この内的対話=思考が一定の結論に到達することによって、人それぞれの意見が形成されるのであるが、さらにそれは他者との対話を通して吟味され、明確化され、深められていく。
だから、自分の考えが反論され、批判されることを恐れてはならない。
真の対話は、「自分の言っていることに誤りがあればよろこんで反駁をうけるとともに、他人が間違ったことを言えばよろこんで反駁するような人間、しかし、どちらかといえば、他人を反駁するよりも自分が反駁されるほうを歓迎するような人間」のあいだに成り立つのである。
さらにプラトンは、対話においては「一方的な長話し」を避けること、多数意見に迎合しないことも大切であるという。
対話はなによりも言葉によって、とりわけ「語られる言葉」によってなされる。
プラトンは「書かれた言葉」というものを重視しなかった。それは誰に対してもつねに「ただひとつの同じ合図」を送るだけで、読者の質問や疑問に答えてはくれない。
また、誤解や不当な非難にさらされても、適切な説明や反論ができない。
つまりそれは「自分を弁護することも、納得の行くまで真実を教えることもできない」のである。
だから、ものを書くとしたら、それは「『もの忘るるよわいの至りしとき』にそなえて、自分自身のために、また、同じ足跡を追って探求の道を進むすべての人のために、覚え書きをたくわえるということなのだ」
語られる言葉こそが「生命をもち、魂をもった言葉」なのであり、「書かれた言葉は、これの影
である」にすぎない。
プラトンはまた、真の対話のためには「自己自身のもっているものだけを頼りに、自己自身の声と自己自身の言葉によって」語ることが大切であると説く。
感想
有名な哲学者だけあって、ものすごく説得力を感じました。
例えば、「対話というものの原型は自分自身を相手とする対話である」や「対話においては一方的な長話を避けること、多数意見に迎合しないことも大切である」てす。
下記の本を参考にしました
『コミュニケーションの社会学』
長谷 正人 他1名
有斐閣アルマ