こんにちは。冨樫純です
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル 男らしさの自己証明
現代の男性社会の中で、男性たちの多くは、自覚的か否かにかかわらず、つねに「自分が男である」ということへの自己証明へのこだわりに縛られている。
もし、他者から「男らしくない」と認識されれば、自分の存在そのものの危機感をおぼえる場合だってあるほどだ。
すでにふれた、女性との関係の中で、優越や所有や権力への志向性が傷つけられたとき、男性たちがしばしば感じる一種の崩壊感覚も、この〈男らしさ〉の自己証明のこだわりゆえのことだろう。
とはいっても、男性たちは、自分一人では、自分の〈男らしさ〉を証明できない。
自分が「男である」と自己確認するには、他者(それは同性である場合もあれば、女性である場合もあるだろう)からの「お前は男だ」という承認が必要なのだ。
この他者からの「男」としての承認を獲得するためにこそ、男たちは、社会的な地位を求めて競争し、美しい女たちを「所有」しようとし、権力を追い求めるのだ、ということもできるだろう。
他者の承認によって、はじめて自分の男としてのアイデンティティが確保されるということは、じつは、けっこうむずかしい問題を含んでいる。
まず、自分の優越や所有や権力を証明するためには、他者を自分の称賛者として自分の側に引きつけなければならない。
他者を自分の側に引きつけるためには、さまざまな駆け引きが必要になる。ときには、利害関心に訴えたり、また、ときには脅しを使う場合だってあるだろう。
男たちは、自分が男であることを証明するために、こうしたさまざまな「努力」をしている。
ここで重要なのは、男たちが、自分の男としてのアイデンティティの確保を他者に依存しているということだ。
男たちは、自分一人では、自己のアイデンティティを確保できない。つねに、外部の基準、外部の視線の承認によってしか、「男」としての安定した自己証明ができないのだ。
外部の視線によってしか、自己証明ができないということは、大きな矛盾だ。
しかし、この矛盾を埋めなければ、自分の「男」としてのアイデンティティを確保できない。
そして、この矛盾が、男たちに、「男のメンツ」意識という重い鎧を身につけさせ、能力以上の「無理」を強い、弱みを隠蔽させ、力を示すことを要求するのだ。
「自分は自分である」という、ごく当たり前の「自分」意識をもてば、こんなふうに、他者の視線や承認に縛られることもないのに、とぽくなどは思うのだが、男性たちの多くは、この矛盾の中で、いまなお、喘いでいるようにみえる。
感想
男たちは、自分一人では、自己のアイデンティティを確保できないという箇所がおもしろいと思いました。
ぼく個人は、ここまでの承認欲求はないですけど。
下記の本を参考にしました
『男性学入門』
伊藤 公雄
作品社