とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

真理の探究など不要

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、倫理学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


真理の探究など不要

 


最初に見ておきたいのは、真理の探究はもっとも重要なことというわけではない、という考え方です。

 


真理について考えることがまったくの無駄というわけではないとしても、私たちにはもっと大事なことがあるのではないか。

 


特に倫理において、遠くにあって目に見えない絶対的な真理を探し求めるよりもまず、身の周りをよく見てみた方がよい。

 


そうして、少なくともお互いが納得できる、という地点を目標とした方がよい、そういう考え方です。

 


そのように、真理にこだわるよりも大切なことがあると主張した論者として、リチャード・ローティ(1931‐2007)がいます。

 


彼は、現代アメリカを代表する哲学者の一人でプラグマティズムの立場をとった論客として知られています。

 


哲学以外にも政治学などについても、様々な発言をして多くの著作を残し、広く活躍した人物です。

 


彼は『偶然性・アイロニー・連帯』という著作の中で、哲学や倫理学において真理や正解というものにこだわる人たちは大事なことを見落としていると主張します。

 


正解にこだわるという態度は現に傷ついている人を前にして、「なぜ人を傷つけてはならないのだろうか」という問いを立てて、それに対する十分な根拠のある理論的な解答とは何だろうか、と考え始めるようなものです。

 


自分の行動が道徳的に絶対に正しい正解かどうか、そんなことを気にするよりも、「つらかったね」と目の前の人に声をかける方がよっぽど大事でしょう。

 


そして、それは「人に優しくするのは良いこと」というのが真理だから、正解だから、優しくする、ということではありません。

 


ただ、目の前の人が傷ついているから、その人が助けを必要としているから、なのです。

 


感想

 


正解にこだわるという態度は現に傷ついている人を前にして、「なぜ人を傷つけてはならないのだろうか」という問いを立てて、それに対する十分な根拠のある理論的な解答とは何だろうか、と考え始めるようなものです、という箇所が特に、おもしろいと思いました。

 


真理の探究をし過ぎてしまうことを警戒しているようです。

 


下記の本を参考にしました

 


『「倫理の問題」とはなにか』

 メタ倫理学から考える

 佐藤岳詩著

 光文社新書

 

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