とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

救命ボートの倫理

こんにちは。冨樫純です。


本を紹介します。


①この本を選んだ理由


倫理学の入門書を探していて、中古品で手頃な値段だったので購入しました。


②こんな本です


『〈思考〉の作法』哲学・倫理学はじめの一歩

   田端 信広著

 萌書房

 

f:id:genzi1013:20210209191540j:image


哲学・倫理学の初学者向けテキスト。


3部構成の1部では日常のふとした「?」を掘り下げ、2部は哲学や倫理学の基本的概念を事典的に解説。


3部は「お手本編」としてレポート等の参考になるような小文を収録する。


③こんな言葉が印象に残りました


カルネアデスの板という難問がある。


近年これは換骨奪胎されて「救命ボートの倫理」などと称され、生命倫理学や環境倫理学の文脈でも使われているが、もともとは古代ギリシアの哲学者カルネアデスに由来する法哲学上の「思考実験」である。


大海原で船が難破し、一枚の板切れが浮かんでいる。その両端に二人の男がつかまっているが、その板切れは一人分の体重しかささえることはできない。


その時、一方が他方を海に突き落として殺しても

果たしてそれは罪に問えるだろうか。


これがその内容である。


結論から言ってしまえば、これは緊急避難といって、他に自分の命が助かる手段がまったくない以上やむをえず相手の命を奪うような結果になってしまっても、刑法上の罪には問えないのである。


海に突き落として殺すというのは、殺人罪を構成する立派な違法行為なのだが、その違法性がそこではもはや問われない、いわゆる「違法性の阻却」となるわけである。


なお、この「緊急避難」とよく似たものに、

「正当防衛」という言葉がある。


こちらの方は、例えば強盗に入られた家の主人が金属バットで応戦した際、打ち所が悪くて強盗が死んでしまったという場合に問われてくる。


強盗を撃退するにしても、金属バットで殴りつける以外に方法はなかったのか、また金属バットを使わざるをえなかったにしても、手とか足とか命に別状のない部位を狙えなかったのか。


裁判の時に、そうしたことが問われて、主人に

も量刑が決まってくることがある。

(本文より引用)


④この本が気になった方への2冊はこちら


『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』

 小林 昌平著

 文響社


『図鑑 哲学』人生を変える100の話

  トム ジャクソン 他2名

  ニュートンプレス


興味を持ってくれた方はいるでしょうか?

興味を持った方は、是非読んでみてください。