こんにちは。冨樫純です。
独学で、倫理学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
倫理問題とゆらぎ
算数や物理といった形式科学にかかわる問題の正解は最初から存在している、と考えることができ
ます。
他方で、倫理の問題の正答はそうではない、とは考えられないでしょうか。
何の理由もなく子どもにいきなり暴力をふるうのが悪いのは、最初からそう決まっていることではない、私たちが私たちのために決めたことなのだ、と。
たとえば、万学の祖と称されるアリストテレスも次のように述べています。「『美しいこと』や『正しいこと』には多くの相違やゆらぎがあると思われており、そのためそうした美しいことや正しいことは、ただ単に人々の定めた決まりごとでしかなく、本来は存在しないものだと思われている。『善いこと』にもこうした種類のゆらぎがある」(『ニコマコス倫理学』 1094b)。
つまり、数学や物理の法則は、誰かが作ったものではなく、最初からあるもので、世界がどれだけ変わっても、これからもあり続けるものです。
その意味で、それらの法則は世界に「存在」しています。 他方、倫理のルールは違う、と言われることがあります。
それによれば、倫理のルールは誰かが作った決まりごとであり、社会や文化が変われば、いつかは変わってしまうかもしれないものに過ぎません。
それは確かに、今の私たちの行動を左右するという意味で「ある」と認められるものかもしれませんが、だからといって物理法則のように「存在する」ものとは違う。
倫理の問題には正解が存在するわけではないと考える人々は、そのように主張するのです。
とはいえ、倫理の問題でも正解が「存在しない」からといって、何をしてもいい、とはならない、と倫理に正解は「存在しない」と考える人たちも主張します。
むしろ、彼らの多くは、正解が存在すると考える人々と同等以上に、倫理の問題について真剣に考えています。
というのも、正解が存在するならば、個人は悩むことなく単純にその正解に従えばいいからです。
他方、最初から定まった正解がないとしたら、私たちは自分たち自身で、自分たちの生き方を決めなければいけません。他に頼りにできるものはないのです。
予めの正解がどこにもない世界で、どうやって隣人と接し、何を指針とし、何に生きる意味を見出すかについて考え、自分たちなりの答えを作り出すことこそ、倫理学の課題であると、彼らは考えてきました。
感想
倫理には「ゆらぎ」があるというところがおもしろいと思いました。
下記の本を参考にしました
『「倫理の問題」とはなにか』
メタ倫理学から考える
佐藤岳詩著