こんにちは。冨樫純です。
独学で、倫理学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
道徳の特別性
アンスコムの発想と対比することで、先のフットとヘアの議論の別の側面が見えてきます。
フットにせよ、ヘアにせよ、二人はともに、人間の振る舞いのなかには道徳にかかわるものと、そうではないものがあると考えていました。
だからこそ、台所の使い方は道徳問題ではない、縁石を踏み越えていいかどうかは道徳問題ではない、などと言ってお互いを批判していたわけです。
こうした道徳とそれ以外のものの峻別の背後には、道徳というものが何らかの意味で特別であるという発想があります。
私たちはたいてい、何の理由もなく、何かの違い、何かの区別にこだわったりはしません。私たちは、しばしば、AとBはしかじかの点で違う、そしてその違いはAとBの扱いを変える理由になる、と考えて、AとBを区別します。
たとえば、ただのミルクと一緒くたにするのではなく、あえて牛乳と豆乳の区別にこだわる場合、特に豆乳の方が健康的だという違いに基づいてその区別を強調する場合、どちらかと言えば豆乳を飲んだ方がいい、ということがそこでは意識されているように思います。
同じように、ただの行為として一緒くたにするのではなく、道徳的振る舞いと、それ以外の振る舞いの区別にこだわる場合、そこには前者は後者よりも「特別なもの」であるという意識があるのではないでしょうか(その区別をもたらす違いが、重要性であれ、理想像であれ、です)。
肉食をすべきでない四つの理由を思い出してみましょう。
①肉食は動物に苦痛を与え、その命を奪うから
② 肉食は家畜を育てる過程で大量の穀物を消費したり、 汚水を垂れ流したり、温暖化ガスを発生させたりすることで環境を破壊し、人間を含めた生物の生活を脅かすから
③肉食は菜食よりもお金がかかるから
④肉食は健康を損なうから
そこでは私たちはなんとなく、①や②を道徳にかかわる理由とみなしがちだ、と述べました。その際、その二つは後の二つよりも、なんとなく特別な理由だとは感じなかったでしょうか。
感想
道徳とそれ以外のものの峻別の背後には、道徳というものが何らかの意味で特別であるという発想があります、という箇所がおもしろいと思いました。
無意識のうちにそうしているようです。
下記の本を参考にしました
『「倫理の問題」とはなにか』
メタ倫理学から考える
佐藤岳詩著