とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

道徳は多数派によってつくられる

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、憲法を学んでいます

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


裁判所に道徳の番ができるか

 


チャタレイ判決が打ち出した基準は決して明確とはいえないし、この判決が、わいせつ文書頒布罪の立法目的は最小限度の性道徳を維持することであるといっていることも引っかかります。

 


道徳に反するのはよくないことだとしても、道徳自体がその時代の多数人の常識といったものですから、法で強制するべきものではありません。

 


法律が、多数派が少数派をいじめる手段にされてはならないのです。

 


その後、『悪徳の栄え』 事件の最高裁判所大法廷判決は、わいせつ性の有無を作品全体のなかでとらえるという 「全体的考察方法」をとり、『四畳半襖の下張り』事件の最高裁判所判決はさらに一歩進めて、芸術性が高ければわいせつ性が弱まるといった「相対的わいせつ概念」をとりました。

 


けれども、道徳を守るために表現の自由を制約していいのかという基本的問題点については、判例は相変わらず何も答えていません。

 


ヘアヌード写真の写真家や出版社が(場合によってはモデルも) 起訴されていないのは、警察が「わいせつ」の判断基準を大幅にゆるめたからであって、道徳の問題から法律が手を引いたわけではないのです。

 


私の意見をずばりいいましょう。 わいせつ文書頒布罪でポルノ表現(の過激なもの)を取り締まるのは、道徳上の理由によって人権を制約するもので許されないと考えます。

 


刑法175条は違憲です。

 


なお、ビデオや写真など、モデルがいる場合には、大人の女性が自分の自由意思で被写体になっている場合でないと、以上の議論は成り立ちません。

 


自己決定能力に乏しい子どもが親や業者に強制さ

れたりだまされて、売春や児童ポルノに出演させられている例は世界中に山ほどありますが、インターネットの児童ポルノ画像の多くは日本から発信されているそうです。

 


そこで1999年5月、児童買春・児童ポルノ処罰法が成立しています。 この法律により、18歳未満の児童を被写体とするポルノの販売等を行った者には最高で懲役3年の刑が科せられます。

 


なお、この法律は「児童ポルノ」を「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」 (2条3項3号)などと定義していますが、これは表現の自由の規制立法として必要な明確さを備えていないのではないか、といった批判があります。

 


また、2008年以降、世界のすう勢である「単純所持」の処罰 (たとえばインターネットでダウンロードし保存することも処罰されることになります) を導入するかが政治的争点となっています。

 


日本でも、一部自治体 (奈良県, 京都府など)では、単純所持もしくは廃棄命令に従わない場合を処罰対象としています。

 


感想

 


道徳に反するのはよくないことだとしても、道徳自体がその時代の多数人の常識といったものですから、法で強制するべきものではありません。

 


法律が、多数派が少数派をいじめる手段にされてはならないのです。

 


という箇所がおもしろいと思いました。

 


たしかに、道徳は多数派によってつくられることがほとんどだと思います。

 


下記の本を参考にしました

 


『いちばんやさしい 憲法入門』

 初宿 正典 他2名

 有斐閣アルマ

 

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