こんにちは。冨樫純です。
独学で、憲法を学んでいます
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
汝の敵の自己決定権
実際に議論される自己決定権は、どうでもいい自由たちではありません。
代表的な学説は、自己決定権の対象を①危険行為、②生と死、③ ライフスタイルに分け、それぞれ①シートベルト・ヘルメットを着用せずに運転すること、危険な登山に挑むこと ② 産む自由・産まない権利、安楽死、尊厳死、③髪型・服装の自由、同性愛の自由を、その主要例としています。
これらも、いちいち 「ノーヘル権」 だの 「中絶権」 だのと命名するべきものではないのです。
ただ、「うつぶせ寝の自由」に比べると、実際に制約を受けやすい自己決定権の代表例だといえます。
シートベルトやヘルメットは、道路交通法で着用義務が設けられています。
冬山は登山道が閉鎖されることがあります。
中国のひとりっ子政策は産む自由を制約しています。 妊娠中絶を禁止している国もあります (日本でも母体保護法が濫用されているだけなのですが)。
安楽死(自分ではできない) に医者や家族が手を貸すと殺人罪に問われることがあります。
髪型や服装は校則ではがんじがらめでした。
同性愛を禁止する国もあります・・
どうして、これら①②③ にとくに国家介入が加えられやすいかといえば、国家意思 (法律など) というものは、とくに民主主義の世の中では、大勢の常識人の意見を反映しているからです。
まず、 ① 危険行為ですが、常識人は不必要に危険な行為をしないから、冬山登山のように、危険行為を楽しむなんてとんでもない、と考えます。
ただし、ご存じのように2008年6月から車の後部座席でのシートベルトも義務化されましたが(2007年道路交通法改正による〕 必ずしも守られていません。
車社会が自分だけは大丈夫という思い込みのうえ
に成り立っているからかも知れません。
遭難した登山者が無事に自力で下りてきたりしても、記者会見で世間にご迷惑をかけましたと謝
ることをなかば強制されていますが、これは登山自体が非常識な行為だという世間の非難を背景にしているのでしょう。
2004年春のイラク人質事件のときも、 「自己責任論」 が声高に言われながら家族が世間に謝罪させられていましたね。
日本社会のいろんな面が見えた事件でした。
② 生と死の問題は、妊娠中絶や安楽死など、道徳という多数人の常識が首を突っ込みやすいテーマです。
他人の生きざま、死にざまは、 本当は自分には関係のない出来事なのですが、 出生も死も自分にはコントロールできない運命だから、 なんとか道徳や宗教といった共通のルールでもって、その意味合いを画一化したくなるのでしょう。
だれかが勝手な生や死の方法をとると、 自分の生や死の解釈に動揺をきたす人々が、よってたかってその勝手を許すまいとするわけです。
「三途の川、みんなで渡れば怖くない」ということでしょうか。
③ ライフスタイルは、とくにわが国のように国民相互のチェックの厳しいお国柄では、 人目を引く少数者の自己主張や、 自分の本性に忠実な生き方は、多数人のねたみのターゲットになりやすいといえます。
校則も、生徒会につくりなおさせると、学校がつくったものよりもさらに厳しいものになることがあるというくらいですから。
感想
日本では本当の意味での自己決定権は難しいと感じました。
他人の相互監視が厳しいし、多数派の意見がいかにも正義であるかのようになるからです。
下記の本を参考にしました
『いちばんやさしい 憲法入門』
初宿 正典 他2名
有斐閣アルマ