とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

信教の自由の限界はどこか

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、憲法を学んでいます

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


信教の自由の限界はどこか

 


宗教が内心の働きにとどまる限り、それを規制することはできません。

 


その保障は絶対です。

 


心の中までは、親きょうだいといえども、国といえども立ち入ることは許されない、と考えられるからです。

 


けれども、外部にあらわれる宗教活動については、規制することが認められます。

 


というのは、外部的な活動となると、他人の権利や自由とぶつかることもありますから、絶対的に保障したのでは秩序を保つことができないからです。

 


憲法も13条で、「公共の福祉」に反する場合には、規制できるとしていますね。

 


では、規制はどこまで認められるのでしょうか。

 


ある判決は、護摩で燻すという加持祈疇で精神障害者を死亡させた行為を、宗教活動と認めつつも、「著しく反社会的」であって、保障の限界をこえるとしました。

 


学説も、この判決を当然であるとしています。

 


したがって、逆にいえば、宗教活動の一環として、たとえば一般社会の目からみて奇妙な宗教儀礼や集団生活でも、それが「著しく反社会的」でない限り、 「信教の自由」 による保障があたえられるということになります。

 


つまり、法律で規制できないのです。

 


問題は, 「著しく反社会的」というのを、なにを基準にして判断するのかということです。

 


おそらく、「社会通念」 によって決めるのでしょう。 日本人の多数の意見を基準にするわけです。

 


しかし、日本の多数者は 「特にこれといった自覚もなく、伝来の宗教的信仰と宗教的戒律の中にごく普通に生きて来た」 のです。

 


わたしたちは、初詣や先祖供養を宗教活動とはほとんど自覚していません。

 


社会通念というものに、既存の宗教的秩序が含まれているのです。

 


感想

 


日本の多数者は 「特にこれといった自覚もなく、伝来の宗教的信仰と宗教的戒律の中にごく普通に生きて来た」 のです。

 


わたしたちは、初詣や先祖供養を宗教活動とはほとんど自覚していません。

 


という箇所がおもしろいと思いました。

 


初詣や墓参りは、立派な宗教活動だと改めて感じました。

 


下記の本を参考にしました

 


『いちばんやさしい 憲法入門』

 初宿 正典 他2名

 有斐閣アルマ

 

flier(フライヤー)