とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

新しい価値を模索する時代

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


新自由主義の暴挙?

 


世界で唯一の超大国となったアメリカが、その流儀を世界に押しつけているのがグローバル化にほかならない、とする批判が現在、高まりつつある。

 


そして、国際政治の舞台では NGOによる反グローバリズム運動が活発に展開されてもいる。

 


批判的立場によれば、規制緩和により市場競争を地球大に浸透させるグローバル化は、世界に格差をばらまき、環境破壊を拡大し、勝ち組と負け組の分断を進めているという。

 


市場万能型のグローバル化を標榜する新自由主義(ネオリベラリズム)が猛威を振るいだしたのは1990年代半ばである。

 


新自由主義の主張は、80年代のレーガン大統領、サッチャー首相、中曽根首相らが依拠した新保守主義の社会哲学の延長線上にあり、市場競争原理によって規制緩和や民営化および福祉の削減を徹底しようとする。

 


その特徴は、 新保守主義が抱えていたイデオロギー的側面、すなわち社会の規律を回復し、古き良き家族やコミユニティの復活を図るべきだとする旧秩序へのノスタルジーを払拭したことにある。

 


しかし、市場万能の競争原理とグローバリズムの称揚は、リスクを世界中にまき散らすことであり、公共性を閉ざしてしまう力学をもつ。

 


新自由主義規制緩和と民営化を特徴とするのは、新保守主義と変わらない。

 


これに加えて、教育や健康保険などの福祉サービ

スへの公共支出を削減し、環境保護年金問題や労働現場での安全対策など企業の利益低下につながる可能性のあるものについて政府による規制を緩和すべきだとする。

 


新自由主義の主張によれば、資本や商品・サービスの移動を自由にすることが経済成長をもたらし、人びとに幸福をもたらすのである。

 


福祉国家市民社会の秩序を破壊しており、個人の自律的活動を原動力とする市場こそが社会に福利をもたらすとする。

 


その際立った特徴は、公益および公共の概念に代えて 「自己責任」を強調する点にある。

 


しかし、自己責任という美名のもとに、さまざまなリスクを無批判的に個人へ転嫁することは、社会的弱者に医療・教育・社会保障を自分でどうにかせよと圧力をかけることであり、そうできない場合は自業自得とみなすことである。

 


世界の人びとのうち新自由主義からの利益を享受するのは少数であり、大多数は「痛み」に耐えるだけの生活が待っている。

 


手厚い福祉による財政赤字という「政府の失敗」を市場によって単に肩代わりするだけでは、再び「市場の失敗」 による困難を招くことになる。

 


また、市場経済万能のグローバル化は、弱肉強

食の論理により少数の勝ち組と多くの負け組を世界的な水準で生みだす。

 


さらに、私心に還元されない公共性の問題を、公正な競争の確保および雇用保険社会保障預金保険など弱者や敗者を救済するためのセーフティネットでことたりる問題として矮小化してしまう。

 


公共財の配分や公益サービスの提供など、市場メカニズムによって処理できない外部 (不) 経済の問題を棚上げすることは「市場の失敗」 に対して見て見ぬふりをすることに等しい。

 


それは公共性を閉ざす力学を容認することである。 公共性を欠いた社会運営は、人びとから連帯感と共生の観念を奪い取り、殺伐とした人間関係を強いる。

 


感想 

 


政府や市場に経済を任せると上手くいかない時代において、何に価値をおくべきかもう一度考え直す必要があると思いました。

 


下記の本を参考にしました

 


『Do! ソシオロジー』改訂版       

 現代日本社会学で診る

 友枝 敏雄 他1名

 有斐閣アルマ

 

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