とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

自己決定する動物

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、憲法を学んでいます

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル  

 


自己決定する動物

 


憲法は自己決定権を保障していると、 最近よくいわれています。

 


しかし、条文のどこをみても、自己決定権という言葉は見当たりません。

 


それでは、プライバシー権や環境権などと同じように、これも「新しい人権」の1つなのでしょうか。

 


まぎらわしいけれども、そうではないようです。

 


むしろ、表現の自由にしても信教の自由にしても、あるいは営業の自由だって、自由権というものの基礎にはすべて、「何かをする・しない」の自己決定権があるのです。

 


つまり、自己決定権とは、特別の人権の名称ではなくて、自由一般の本質をいいあらわしたものなのです。

 


さきほどの例でいえば、どんな音楽を聴くかは受け手の表現の自由として憲法21条で保障されるし、どんな職業に転職するかは営業の自由として22条で保障されています。

 


けれども、それ以外の朝何時に起きるかとか、 どんな食事をとるかとか、だれとデートするかとかは、いちいち「起床の自由」、「食事の自由」、「デートの自由」などという個別の人権規定で保障されているわけではありません。

 


しかし、これらの自由が国家権力によって侵害されれば、だれだって人権侵害だと思うことでしょう。

 


6時前に起きてラジオ体操に参加しろとか、決まったメニューを残さず食べろとか、この彼女といつどこでデートしろとか、いちいち国が口を出したとしたら、国民は窒息してしまいます。

 


もっとも、最初の2つは、刑務所や学校ではまかり通っているのですが、生活の一挙一動がいちいち規則づくめで、自分の判断で自己決定できないのなら、人間というよりは機械に近いでしょう。

 


どんなに頭のいい他人が仕組んでいても、お仕着せの人生は生きた気がしません。

 


人間は自己決定する動物なのです。

 


ですから、このような自己決定権、あるいは一般的行動の自由の保障といったものが13条の「幸福追求権」に含まれているという解釈をとるべきだといわれています。

 


感想

 


たしかに自己決定権がないと生き苦しいと思いました。

 


また、普段は意識しませんが、大事な権利なんだと思いました。

 


下記の本を参考にしました

 


『いちばんやさしい 憲法入門』

 初宿 正典 他2名

 有斐閣アルマ

 

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