とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

吉田路線の定着

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、政治学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


吉田路線の定着

 


吉田路線は、ただちに受け入れられたわけではなく、さまざまな勢力のバランスの中で徐々に定着していったと考えるべきであろう。

 

アメリカもまた吉田の方針への理解あるパートナーというわけではなく、冷戦期に入ってからは、吉田に対し日本が本格的に再軍備することを要求した。

 


吉田はこれに対して、ノーと答えた。

 


このことは、対米協調の方針がアメリカによって強いられたものではなく、日本の総理大臣のリーダーシップによって選択されたことを示している。

 


さらに、吉田内閣が終わった後、吉田の路線とは異なる立場の鳩山内閣、岸内閣が成立した。

 


両内閣では日ソ国交回復と憲法改正への試みなど、対米自主路線が追求された。

 


吉田の路線が定着していったのは、岸信介の後を襲った池田内閣のころである。池田勇人は、憲法改正を棚上げして、所得倍増計画全国総合開発計画などの経済中心主義を再び明確にし、それが国民の支持を得たからである。

 


この路線は、戦後の国際環境の変化を的確につかみ、そのうえで日本の平和と繁栄を追求していこうというものであった。

 


戦前における日本は、西欧列強に対抗して、国力の拡張を図り、ブロック経済化に対して一か八かの侵略に乗り出していった。

 


ところが、戦後は国際環境が一変した。 冷戦によって日本はアメリカにとって非常に重要な国となった。 アメリカは日本の経済的復興のために手を貸しただけではなく、同盟関係を結ぶことによって核の抑止力を提供した。

 


戦前と違って日本は軽武装の道をとることができた。

 


吉田の方針は、日本を超大国の世界戦略に組み込み、戦争に巻き込むものだとする勢力はこの路線に反対を続けたが、事態はそのようには進まなかった。

 


さらに、アメリカがつくりあげた自由貿易体制を日本は十分すぎるほど利用していった。 アメリカへの輸出によって日本は貴重な外貨を稼ぐことができた。

 


徐々に日本経済の自由化は進められたが、それまでにアメリカは寛大に市場を提供したし、ライセンス料をとってではあるが技術を提供してくれたのである。

 


感想

 


日本の経済発展は、アメリカの支援だけでなく、時の政治の経済主義政策を国民も受け入れたことがその要因のようです。

 


当時は、経済発展が第一の課題だったのだと感じます。

 


下記の本を参考にしました

 


『はじめて出会う政治学

 構造改革の向こうに

 北山 俊哉 他2名

 有斐閣アルマ

 

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