こんにちは。冨樫純です。
独学で、政治学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
大臣は本当に無能か?
たしかに、大臣は無能なのではないかと思わせる場面もなかったわけではない。
国会での風景がそれである。
政府は国会における議員の質問に対して答える責任がある。政府を攻める側の議員としては、時には意地の悪い質問をしたり、瑣末な事実の確認を迫ったりする。 政府側を立ち往生させて、「論戦に勝った」ことを世間に示したいからである。
政府側としては、それを防ぐために細かなことまで覚えている官僚を国会に出席させ、大臣に恥をかかせないように、 代わりに答えさせるという配慮も必要になってくる。
そこで、質問に対しては大臣が答えるだけでなく、細かな問題については官僚が政府参考人 (かつては政府委員と呼ばれた)という肩書きで答えることになる。
大臣の中には「この問題は大変重要なので政府委員に答えさせます」述べて、 自分の存在意義を平気で否定してしまう者もいた。
大臣の弱さを示す証拠はたしかに目立つ。
しかし、以上のような大臣の弱さと官僚の強さを強調する見方は、一面的にすぎるだろう。
日常的な場面で大臣と官僚のどちらが強いかは、さまざまな条件によって異なってくるからである。
特定の分野について政策通と呼ばれている政治家や実力者といわれる政治家が大臣になった場合、官僚たちもその人に一目おいて、軽々しくは扱わないだろう。
また、大臣になったときは年も若く、それほど力がなくても、 将来は大物になると多くの人が認めている人物に対しては、官僚たちは敬意を払うだろう。
何年後かにその人が実力をたくわえて、再び自分たちのボスになる可能性があるから、いまは力がないからといって適当にあしらっていると、あとで仕返し(出世をさせてもらえないなど)をされるかもしれないからである。
このような場合、大臣は日常的にも相当の発言力を役所の中でもつことができる。
また、大臣がどのような人物であっても、彼が属している政党が結束していれば、官僚は大臣のいうことを聞こうとするだろう。
大臣が軽んじられたことに腹を立てて仲間の政治家たちにそのことをいえば、与党の政治家たちも黙ってはいないだろうと、賢明な官僚たちは考えるからである。
大臣自身がたいしたことはなくても、政党による組織的な反撃の可能性があるかぎりは、官僚は慎重に対処せざるをえないのである。
自民党が単独で政権を握っていた時期には、これらの条件がかなり整っていたように思われる。
族議員と呼ばれる特定の政策分野を得意とする政治家がかなりいて、彼らが大臣になることも多かった。
個人的にはあまり能力がない場合でも、与党がしっかりとまとまっていれば、官僚たちも大臣に従わざるをえないということもあったであろう。
自民党が単独で政権についていた約30年の間、官僚が大臣に面と向かってクレームをつけるということがなかったのも、このような条件が満たされていたからである。
近年、大臣官僚のバトルが表面化するようになった背景には、政界が流動化して政党の結束が緩んだこと、大臣任用のルールが崩れ、十分に政治経験を積んでいない者が大臣になるようになったこ
と、そして自民党といえども、いつまで与党でいられるかわからなくなったことが挙げられる。
また、国会答弁などで張り切りすぎて官僚たちの反感を買っていたということもあったにちがいない。
感想
ぼくも大臣はころころ変わるし、お飾りのイメージがありましたが、そうでもないようです。
見方が変わりました。
下記の本を参考にしました
『はじめて出会う政治学』
構造改革の向こうに
北山 俊哉 他2名
有斐閣アルマ