こんにちは。冨樫純です。
独学で、政治学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル 集団理論
車検の例で考えよう。 今、自動車整備業者が、車検制度から得ている便益は大変に大きい。
これに対して、自動車オーナーはどうであろうか。 彼らは、車検制度のおかげで余分な整備費
用を負担していると考えられるから、車検制度の改革は彼らに便益をもたらす。
そこで、単純に多数決をとって車検制度の改革をするべきか否かを決めるならば、車検制度の改革が選択されると予想される。
しかしながらそうはなりにくいのである。
ここでの第1のポイントは、便益の大きさにある。 もし車検制度がなければ、多くの自動車整備業者は廃業の憂き目にあうであろう。
そこで、自動車整備業者は、選挙の際に車検制度を守ってくれる政治家に寄付をしたり、政治家の集票活動を手助けしたりしても、もとは取れると計算する。
また、車検制度にかかわる官僚の便益も大変に大きなものである。 職すらかかっているからである。
そこで、彼らも車検制度の維持のためにはあらゆる努力をすると考えるべきである。
他方、自動車オーナーが、車検制度の改革によって得る便益は、彼らの生活水準に重大な影響を及ぼすほどには大きくない。
そこで彼らは車検制度の改革には賛成するけれども、自分から改革を求めて行動を起こす手間(費用)はかけないであろう。
数万円の便益のために、仕事から疲れて帰ってきた後でさらに車検改革運動のために労力を使うのは割に合わないと思うのが普通である。
あるいは、学生で多少は時間があったとしても、数万円の便益を得ることが目的ならば、アルバイトをする方が効率がよいだろう。
そこで車検制度に利害関係をもつ人々の間に、その制度に関する自分の利益の大小によって、その利益を実現する (すなわち車検制度を守ろうとしたり改革しようとしたりする) 「意気込み」 の違いが自ずと現れてくるのである。
近年、このような利益団体の既得権益を守るための活動は、少数者のために多数の利益を犠牲にする非民主的なものであるとして、マスメディアなどで格好の非難の対象となっている。
しかし、政治学ではこのような利益団体の活動それ自体を悪いこととは考えてこなかった。
社会の多様な利益は、選挙によって議会に代表を送ることによってのみ政治に反映されるものではない。
自らの利益を守ろうとする人々が組織をつくって、利益を実現するため活動するのも、民主的な社会の当然のありようである。
さらに、利害関係を強く感じる人が積極的にその利益を守るために活動し、あまり大きな利害関係をもたない人は傍観者にとどまることも、それ自体として問題のあることではない。
このような考え方を、集団理論という。
そこでは、政治の過程を通して実現されていく政策は、さまざまな利益団体が要求をかかげて活動をするなかで, それら活動の総和として実現されると考えられた。
比喩的にいうならば、それぞれの集団の要求はベクトルで表される。 要求内容がベクトルの方向であり、「意気込み」が大きさである。
感想
個人の意見が政治に届かないとよく言われますが、「集団理論」や「便益」の概念を使うと説明できると思いました。
下記の本を参考にしました
『はじめて出会う政治学』
構造改革の向こうに
北山 俊哉 他2名
有斐閣アルマ