とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

国家のための死

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


国家のための死

 


国家のために切り捨てられた死が、国家繁栄のための礎となる。

 


国家繁栄維持法は、一見荒唐無稽です。現代社会では成立しないように思えるかもしれません。

 


しかし、このフィクションから2つのことがわかります。ひとつは現実です。もうひとつは真実です。

 

国家のための死というセリフには、どこかで聞いたようなデジャブ(既視感)を抱いてしまいます。

 


それもそのはず、個人が国や家のために犠牲になることが称揚されるのは、いつの時代にも「現実」としてあったからです。

 


たとえば昔あった人柱がそうです。 堤防やお城などの大規模な建造物が水害などの自然災害や敵襲によって破壊されないよう、生きた人を土台部分やその近傍に埋めて神様にささげ、無事を祈願し

ました。

 


「白羽の矢が立つ」という言い伝えがありますが、匿名の矢が家屋に突き刺さった家では、所定の年齢にある家族、たとえば少女を犠牲に差し出さなければならなかったといいます。

 


これを人身御供といいます。

 


あるいは、戦時中の赤紙も国家繁栄維持法のいわば原型です。赤紙とは国家(軍隊)が在郷将兵を呼び出す召集令状です。

 


太平洋戦争では「お国のため」といって、特攻隊員の若者が往路の燃料しか積んでいない戦闘機に乗り込み、敵に体当たりして大海に散っていったことを知らない人はおそらくいないでしょう。

 


これはパロディではなく、現実に起こったことです。

 


そしてもうひとつ、真実についてです。死によって生が輝くという真実。 作家三島由紀夫が「私のただ一冊」の書として心酔した武士道の聖典である、山本常朝著「葉隠」のなかに、つぎのような一節があります。

 


「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」

 


死を自身の傍らにおいて生きることで、見えてくる世界があるというものです。

 


感想

 


国家のために切り捨てられた死が、国家繁栄のための礎となるという考え方は、現代の日本では考えられません。

 


でも、現実としてあったということは、認識しておくことは必要かもしれないと思いました。

 


下記の本を参考にしました

 


『体感する 社会学

 金菱 清著

 新曜社

 

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