こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
社会的事実としての自殺
人の幸福や不幸をはかるにはどうしたらいいでしょうか?
ものが豊富にたくさんあるとか、精神的に豊かであるとかいう指標(ものさし)は時代によって異なるし、個人間でばらつきがあります。
それに対して「自殺率は、それぞれの社会の平均的不幸を測定できる唯一の指標である」と説くわけです。
ふつうわたしたちが自殺に関して問いかけるのは、なぜ自殺するのだろうかという理由です。つまりなぜ死ぬのか、動機を知りたいと思うわけです。
ところがその社会学者はこれを否定していくわけです。こんなものダメだ! しょせん「本人の主観」
にすぎない、というわけです。
遺書などが残っていることがありますが、これも主観で、主観は絶対に事実には代えられないというのです。どこまでいっても本人の〝思い込み”だっていうことです。
だから彼は徹底してこの当事者の主観を排除して、社会的事実を示そうというのです。
医学にたとえれば、この社会的事実は「顕微鏡」の発明と同じです。この発明によって病原菌が見つかり、「病は気から」という見方が覆されました。
現代はまた「病は気から」を重視するようになっていますが、それはともかく、作者はこの社会的事実を示す必要性をつぎのように説きます。
社会的事実は「断じて個人の意識には還元しえない独自のリアリティ」である。そこで「統計による相関」に向かうわけです。
感想
確かに、原因を追っていたのではキリが無いと思いました。
下記の本を参考にしました
『体感する 社会学』
金菱 清著