こんにちは。冨樫純です。
独学で、政治学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル 政治社会
ロックの自然状態とは、労働の主体としての個人が、他者の財貨を奪うことなしに自立した状態であり、基本的に平和な状態である。
とはいえ、そのような自然状態においても、紛争の可能性はあるとロックはいう。
なぜなら、自然状態においては、権利が損なわれても救済手段がないからである。
すなわち、各自が自分で自然法を解釈して、相互
に制裁を加えるしかない。
さらに、意図的に自然法を破り、他者の生命に計画的に攻撃を加える人間が出てくる可能性もある。
そうだとすれば、各自は自らの所有権を守るためにも、自力救済の権利を放棄して、自然法を解釈し執行する共通の政治権力を打ち立てる必要がある。
そのことで個人は自然的権力を失うが、代わり
に多数決で意思決定を行う政治社会 の構成員になるとロックは論じた(ただし、政治社会の設立には全員一致が必要)。
この場合、政治社会の任務は自然法の解釈と執行にあるが、ロックはそれぞれを立法権と執行権として区別する必要があると主張した。
解釈と執行を同じ権力に委ねた場合、濫用の危険があるからである。
人民の信託を受けた立法権が最高の権力であるが、その立法権も自然法に拘束され、執行権は立法権に統制される。
ロックは立法権と執行権以外にも、対外的な軍事や外交を司る連合権 (外交権) をあげ、 ある種の権力分立論を展開した。
その本質は、それまで国王の大権とされていたものを執行権と連合権とに分け、執行権を立法権に従うものとして位置づけたことにあった。
さらに従来、臣民の特権とされたものを所有権として読み替え、政府全体の目的を所有権の保全に見出した点も重要である。
逆にいえば、政府の権力はあくまで、各人の自然権をよりよく保障するためのものである。
したがって、政府が人民の信託に違反する場合、人民は政府を解体し、政府に受託されていた権力を取り戻すことができる。
ロックがあげるのは二つの場合である。
まず、国王が議会を開催しなかったり、自らの命令を勝手に法としたりしたとき、立法権の改変による権力の簒奪となる。
この場合、事実上政府は解体したことになり、人民は新たな立法権を樹立することができる。
次に、立法権と執行権が人民の信託を裏切り、権力を濫用して人民の権利を侵害するときである。
この場合、人民は武器をとって抵抗する権利がある((抵抗権)。さらに両者を裁く共通の判定者がいない以上、「天に訴えて」でも、専制権力となった政府を倒す権利をもっている(革命権)。
現実には、無秩序を恐れたロックは、安易に抵抗権に訴えることに否定的であり、実際のところ、人民が抵抗することはめったにないとも指摘している。
とはいえ、ロックの議論の後世への影響は明らかである。
ホッブズらが、主権の崩壊により社会全体が崩壊し、無秩序につながると論じたのに対し、ロックは仮に政府が解体しても、人民や社会が解体することはなく、あらためて政府を作り直すことができると主張した。
感想
ロックの議論の後世への影響は明らかであるとありますが、その通りだと思います。
政治に対する考え方が、現代の政治制度に生かされていると感じるからです。
下記の本を参考にしました
『西洋政治思想史』
宇野 重規著
有斐閣アルマ