とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

カフェは議論の場

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、政治学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


新たな知の拠点とネットワーク

 


宗教内乱の記憶がようやく過去のものになりつつあった18世紀 ヨーロッパに新たな文化の胎動が見られた。

 


この動きを象徴するのが「啓蒙」 という言葉である。

 


「啓蒙」 とは英語で Enlight-enment、フランス語ではLumières、さらにドイツ語では Aufklär-ung であるが、いずれも「光」や「明かり」を意味する。

 


人間の理性という光によって無知の闇を照らし出し、すべてを合理的な検討の対象とすることをめざす知的運動であった。

 


かつてカロリングルネサンスにおいて修道院司教座聖堂附属学校が、12世紀ルネサンスにおいて大学が重要な舞台となったように18世紀ヨーロッパにおける知の拠点となったのは、サロン、アカデミー、カフェであった。

 


これらはいずれも人と人、人と情報とが出会う新しい場を提供することになる。

 


このうちまずサロンは、女主人によって開かれた社交の場であった。かつては宮廷こそが豪華さを伴う社交が繰り広げられる場であったが、そのような場は次第に宮廷の外へと広がっていく。

 


サロンで人々は、詩や演劇など文学、芸術をテーマに、会話を楽しみ洗練された趣味を競い合った。

 


やがて女主人の関心によっては、哲学や政治が語られるサロンも出てくる。

 


多くの啓蒙知識人が活躍したのもサロンであった。

 


18世紀はまた「アカデミーの時代」であった。

 


フランスの王立アカデミーや、イギリスのロイヤル・ソサエティなど、国家の支援を受けた研究機関が人文・自然学における学術の中心となっていく。

 


地方におけるアカデミー設立の動きも活発で、後にジャン=ジャック・ルソーが 『学問芸術論』を執筆したのも、ディジョンのアカデミーによる懸賞がきっかけであった。

 


また数学者であり、フランス革命期に政治的にも活躍することになるコンドルセ は、科学アカデミーの最後の) 終身書記であった。

 


アラビアからもたらされたコーヒーを飲ませる場所として生まれ、やがて社交の場として発展していったのが、カフェやコーヒーハウスである。

 


そこでは新聞や雑誌などの新たなメディアによって情報を得ることができ、さらに政治や経済についての議論を行う場ともなった。

 


政党保険あるいは株式市場といった新たなしくみが発展したのも、カフェやコーヒーハウスであった。

 


感想

 


カフェや喫茶店が議論の場であったことに驚きました。

 


今ではあまり見かけない光景なので。

 


下記の本を参考にしました

 


『西洋政治思想史』

 宇野 重規著

 有斐閣アルマ

 

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