とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

頑固ジジイと私有財産権

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学法哲学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


頑固ジジイは私有財産権を守るヒーロー

 


あなたが不動産開発業者で、荒廃した貧困地区を再開発して、広い庭やプール、バルコニーのある高級住宅地として売り出すことを計画しているとしよう。

 


国土法、土地計画法、農地法、消防法、文化財保護法宅建業法、建築規制条例などなど、国家によるさまざまな規制があなたの行く手を阻むだろうが、頭痛の種はこれら役立たずの法律の山ばかりではない。

 


計画を立ち往生させる最大の障害は、往々にして、その地区でもっとも老朽化した建物に住む

頑固な人々によって引き起こされる。

 


どういう理由かは知らないが、彼らは自分のあばら家をとても気に入っており、ぜったいに立ち退こうとはしない。

 


地上げ屋が目の前に札束を積み上げても、政治家や役人が説得を繰り返しても、契約書に判を捺してはくれないのだ。

 


この頑固者たち―おそらくは小柄で痩せていて気難しい老人は、長い間自分の土地を、炭鉱やダム・灌漑計画、鉄道会社や道路公団から守りつづけてきた。

 


彼らの抵抗は、(私有財産を公共の利益のために使用する際の手続きを定めた) 土地収用法制定の原動力ともなった。

 


自分の土地にしがみつく頑固ジジイは人類の進歩を阻む元凶であり、世界の中心で、キーキー声を張り上げて「ノー!」と叫ぶのだ。

 


交差点の一画に住みつづけ、大渋滞の原因となっている廃屋のような家を見て、多くの人は「公共の福祉」や「幸福の増進」の邪魔だと考える。

 


だが、彼らを批判するのは間違っている。

 


進歩の障害物としてしか描かれない頑固ジジイは、じつは、人類が手にしたもっとも大きな希望

私有財産権」の象徴でもあるのだ。

 


彼らに対する誹謗中傷の山は、やがてこの死活的に重要な権利の否定へとつながっていくだろう。

 


私有財産権とは、「すべての人は、それがほかの所有者の権利を侵害しないかぎりにおいて、自らの所有物を自由に使用・処分する権利を持つ」ことを意味する。

 


国家による土地の収用は、本人の意思に反して強制的に彼の所有物を取り上げるのだから、明らかにこの権利を侵害している。

 


私有財産権を擁護する議論は、倫理を基礎におく。

 


この議論は、「人は自分自身の所有者である」という自己所有権から出発する。

 


そして、彼が彼自身の所有者であるならば、その当然の帰結として、彼が自らの労働によって生み出したもの(ジョン・ロックの表現を使えば「労働を混ぜ込んだもの」)もまた彼の所有物となる。

 


この私有財産権は、人為的な法の有無にかかわらずすべての人に適用されるべきだから、国家が定める法ではなく、人類共通の原理としての「自然法」によって保護されている。

 


「人は自分自身の所有者である」以上、自然法によって、第三者が彼を奴隷として所有すること

は禁じられている。同様に、いままでだれのものでもなかった土地に入植し、自らの労働によっ

てそこからなにか役に立つものを生み出したなら、自然法によって、彼はその土地を正当に「所

有」したことになる。

 


こうした私有財産権を移転する唯一の倫理的に正しい方法は、自主的な取引あるいは贈与であ

る。

 


すなわち、所有者が自らの意思で所有権の移転に同意した場合だけが、自然法に照らして正当と認められるのだ。

 


頑固ジジイの所有する土地が正当な手続きで獲得された合意のもとに元の所有者から購入したか、贈与されたのであれば、その所有権は自然法によって保護されている。

 


彼の行為には非難されるべきことはなにもなく、その土地に対する彼の権利は正当である。

 


このことから、本人の合意なしに土地を取り上げようとするいかなる試みも、人間社会を支える根源的な権利である私有財産権を侵害し、倫理に反することは明らかだ。

 


感想

 


「頑固ジジイは私有財産権を守るヒーロー」かもしれないと思いました。

 


私有財産権を主張していると見ることもできるからです。

 


下記の本を参考にしました 

 


『不道徳教育』

 ブロック.W 他1名

 講談社

 

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