とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

ホップズの思想

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、政治学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


自然状態と自然法

 


ホップズの目に、人間はどのような存在として映ったか。 彼にとって、 人間とは自らの生命を維持するために物質代謝を行う一個の生物にほかならなかった。

 


外部からの刺激を受けて生じる感覚は、時の経過

の中で定着して記憶になり、蓄積されて経験となる。 人間は経験を組み合わせることで、判断能力を身につけていく。

 


とはいえ、ホッブズは人間の善悪の判断能力を信じていなかった。

 


というのも、人間とは、自らによって快いものを欲し、恐怖を感じるものを避けようとするものであり、その限りで善悪の判断はあくまで主観性を免れなかったからである。

 


当然、人によってその判断は異なり、客観的で絶対的な意味での善悪は存在しないことになる。

 


しかも人間は、先のことを考えてしまう。今、自分は何かをもっていても、将来はわからない。その予見能力ゆえに、人間の心は休まることがない。さらに人間は他人との比較によっても影響されてしまう。

 


その虚栄心ゆえに人間の欲望は無限に拡大し、人間関係は陰惨なものとなるのである。 ホッブズは人間を「プライドの子」と呼んだ。

 


人間にとって、肉体的な力や富はもちろん、もっている知恵や雄弁、さらには良き評判までがその権力(power) となる。

 


人間は権力を追求するが、それが相対的なものである以上、他人に対して不断に優越することによってしか維持できない。

 


また、未来は不確実である以上、さらなる権力を追求しないと、今の権力すら保てない、ここから人間の自然状態は戦争状態であるという結論が導き出される。

 


しかしながら、重要なのは、ホッブズがこのような人間観を単に否定的に論じたのではないことである。 彼はむしろ、このような人間のあり方を、自然権として肯定した。

 


ホッブズは議論の前提として、まず人間の平等を強調する。それも、理念的な平等ではなく、あくまで実力の上での平等を問題にした。

 


ホップズによれば、どんなに力のない人間でも、複数で襲えば強者をも倒すことができる。力だけでは支配は不可能であるとして、彼は実力説を否定した。

 


人間はだれもが、自らの生命を維持するために、自分が適当だと思う手段を用いる権利をもっている。

 


このように論じるホッブズにとって、自然権とはまず自己保存の権利であり、そのための手段に関する権利であり、さらに何が適当な手段かを判断する権利であった。

 


人間の社会性をあてにせず、このような人間の自然権だけを前提に、いかに秩序が可能になるか。

 


ホッブズのこの問いは、後世に「ホッブズ問題」と呼ばれるようになる。

 


人間はもちろん不断の戦争状態には耐えられない。人間の理性は、平和を実現するために努力をなすべきこと、また各自がその自然権を相互に制限すべきことを示している。

 


ホッブズは平和を実現するための一般規則を自然法と呼んだ。

 


とはいえ、この場合の自然法とは、自然権をよりよく実現するための理性の推論にすぎず、自分が契約を守っても、他人がそれを守る保障はない。

 


違反者がいても、それを罰する共通権力が存在しないのである。

 


感想

 


ホッブズは人間の善悪の判断能力を信じていなかった。

 


人間とは、自らによって快いものを欲し、恐怖を感じるものを避けようとするものであり、その限りで善悪の判断はあくまで主観性を免れなかったからである。

 


この箇所がおもしろいと思いました。

 


主観性はやはり避けられないと思うからです。

 


下記の本を参考にしました

 


『西洋政治思想史』

 宇野 重規著

 有斐閣アルマ

 

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