こんにちは。冨樫純です。
独学で、政治学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
カルヴァンはその主著『キリスト教綱要』 において、自らの神学や教会組織論を展開している。
信仰の出発点において、カルヴァンはルターと多くを共有している。
すなわち、罪深き存在として人間は、善き行いによって救われることはない。人間が正しい信仰の道へと入っていけるとすれば、それはすべて恩寵の賜物であるとカルヴァンは考えた。
しかしながら、カルヴァンの場合、ルターに比べても、神の絶対性がさらに高まっている。これを象徴しているが予定説である。
この考えによれば、だれが救われ、だれが救われないかは、あらかじめ神によって決められており、個人の心掛けや行いによっては変えようがない。
無力な存在である人間に神の意図を知ることはで
きないという意味で、予定説は神の絶対性の論理的帰結であった。
とはいえ、それでは自分が救われるか、絶対的な確信をもつことができない人間にとって、 生活のすべてが無意味になるのだろうか。
そうではないとカルヴァンは説く。 人間は 「神の器」として、 現世における神の栄光を実現するために行動しなければならない。
そのことが結果として、自らの信仰と神による選びを証明するはずであると彼はいう。
このようなカルヴァンの教えは、あたかも善行主義に逆戻りしているかに見える。
しかしながら、論理は逆である。 人は善行によっ
て救われるわけではない。 自らの行為を通じて、 神の教えに沿った正しい信仰の生活を送れたとき、そのことが、事後的に自らが選ばれていたことを証明するというのである。
感想
カルヴァンの予定説は有名ですが、神の絶対性を強化しているという見方もできるという。
おもしろいと思いました。
下記の本を参考にしました
『西洋政治思想史』
宇野 重規著
有斐閣アルマ