こんにちは。冨樫純です。
独学で、政治学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
論争の生涯
現世を超えた価値を求めたキリスト教であるが、皮肉なことに、その信徒の数が増大するにつれ、世俗の秩序にとっても無視し難い存在になっていった。
初期にはキリスト教徒を激しく迫害したローマ帝国も、やがて融和的な姿勢を見せ、国教化するに至る。
とはいえ、キリスト教の現世に対する態度は、本来緊張感に満ちたものであった。
教会の秩序と世俗の秩序はやがて、互いに独自の
正当性を主張しながら競合していく。
両者の関係こそが以後の政治思想にとっての最大の焦点となるが、この議論の展開にあって決定的に重要な役割を果たしたのが、アウグスティヌスである。
アウグスティヌスが生きたのは論争の生涯であった。 ただし彼が、最初から熱烈なキリスト教徒であったわけではない。
アウグスティヌスは後に 『告白』を書いて自らの人生を振り返っているが、元々はキリスト教に対してむしろ否定的であった彼が、迷いの後に回心したことを、 神の恩寵に導びかれた結果として描いている。
アウグスティヌスが批判したのは、まずペラギウス派である。 パウロが原罪を強調したように、キリスト教の正統的立場からすれば人間が自力で救われることはない。
これに対しペラギウス派は、神は善なるものとして人間を創造したのであり、 それゆえ人間は善行を積むことで救済へと至ることができると説いた。
このようなペラギウス派の主張は、ストア主義の流れを汲むものであると同時に、幼児洗礼を否定したことにも見られるように、人間の自由意志を強調するものであった。
これに対しアウグスティヌスは、あらためて神の全能と人間の無力を強調した。
若き日に迷いの日々を過ごしたアウグスティヌスにすれば、信仰をもつことでさえ神の恩寵であり、自らの善行によって救済されるという考えは傲慢にほかならなかった。
感想
アウグスティヌスにすれば、信仰をもつことでさえ神の恩寵であり、自らの善行によって救済されるという考えは傲慢にほかならなかった、という箇所がおもしろいと思いました。
全知全能の神がいかに大事で、唯一無二なものであるかが分かります。
下記の本を参考にしました
『西洋政治思想史』
宇野 重規著
有斐閣アルマ