こんにちは。冨樫純です。
独学で、政治学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
学問の体系
ギリシア文明の獲得した認識、経験した活動を集積・体系化したとされるアリストテレスは、まさにあらゆる学問に通暁した人物であった。
そのアリストテレスは『ニコマコス倫理学』 で学問を三種類に分けている学問分類は、私たちの知のあり方を規定するために、とても重要である。
この分類は、以後2000年にわたって西洋思想に影響を与えた。
第一は、理論学 (テオーリア)である。 「それ以外の仕方では、あることができないもの」を対象とする。
観察する側に関係なく、厳密な認識が可能な学問である。 具体的には数学や自然学、それに神学(神のあり方は人間には変えられないから)がある。
第二は、実践学(プラクシス)である。 理論学とは逆に、「それ以外の仕方でも、あることができるもの」を扱う。
知識をもつことで対象自体を変化させることができる学問で、 人間の善き行いにかかわる。 具体的には政治学、倫理学、家政学がそれにあたる。
第三は、制作学 (ポイエーシス)である。変化する素材を使って一定の結果を生み出すもので、修辞学、詩学、医学が該当する。
この学問分類論の最大のポイントは、理論学と実践学とを分けたことにある。 プラトンは両者を区別していない。 すなわち政治についても厳密な認識は可能であり、 あとはそれを実現するだけであると考える(したがって理論学と制作学があればいい)。
これに対しアリストテレスは、厳密な認識が可能な知(エピステーメ) と、時や場所など具体的な状況に左右される思慮(フロネーシス)とは別であ
ると主張した。
政治とは人間にふさわしい幸福を実現するための活動であり、幸福は理性(ロゴス)によって情念(パトス) をコントロールすることにかかっている。
その能力こそが倫理的卓越性(アレテー)であり、
そこでは習慣づけ (エートス) が大切である。
このような状態を中庸と呼んで強調したアリストテレスに、政治を倫理と結び付けたソクラテスやプラトン以来の伝統を見出すことが可能だろう。
とはいえ、あくまで善は単一ではなく、 それゆえにつねに争いがあると強調した点にこそ、アリストテレスの特徴がある。
争いがあるからこそ賢明な状況判断が重要であり、そのための思慮は経験なくして学びえないものであった。
その意味で、アリストテレスが何よりも重視したのが、人間の本質に合致した善を実現する学問としての実践学であった。
彼はこれをさらに、ポリスを対象とする政治学、自らの一身にかかわるものとしての倫理学、さらに家(オイコス)を経営するための家政学に分類した(ちなみに経済学の語源〈オイコノミケー〉は家政学にある)。
感想
アリストテレスは、厳密な認識が可能な知(エピステーメ) と、時や場所など具体的な状況に左右される思慮(フロネーシス)とは別であると主張した、という箇所がおもしろいと思いました。
単なる知識と対応力は別と、ぼくは解釈しました。
使える知識と言われますが、そのことをもう既に指摘していたと考えられます。
下記の本を参考にしました
『西洋政治思想史』
宇野 重規著
有斐閣アルマ