こんにちは。冨樫純です。
独学で、政治学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
キリスト教における時間
キリスト教における独特な時間のイメージについてふれておきたい。
ト教において、時間には明確な始まりと終わりがある。
すなわち、世界は天地創造とともに始まり、イエスの復活と最後の審判によって終わる。
この終末のときにキリスト教信者は救済されるのである。
このような時間感覚は目的論的なものである。
歴史は無限に循環を繰り返すという古代ギリシア的な時間感覚とは明らかに異質であるが、近代の時間感覚のように、均質な時間が無限に続くというわけでもない。
あくまで明確な始まりと終わりがあり、それが神による創造と終末というように、宗教的に意味づけられているのが特徴である。
古代ギリシアにおいて重視されたのは 「不死」という観念であった。人間はいつか必ず死ぬ。 しかしながら、政治や軍事などの場において活躍することで、人々に長く記憶され、語り継がれることで不朽の名声を得ることも可能である。
これに対し、キリスト教にとっては世俗の時間は救済とは無関係であった。 キリスト教を信じる人間にとって大切なのは、この世を超えた「永遠」 の価値であり、それは歴史とは無縁であった。
感想
キリスト教において、時間には明確な始まりと終わりがある。 すなわち、世界は天地創造とともに始まり、イエスの復活と最後の審判によって終わるという箇所がおもしろいと思いました。
現代に生きる我々は、時間に終わりがあるなんて考えないので。
下記の本を参考にしました
『西洋政治思想史』
宇野 重規著
有斐閣アルマ