とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

法は絶対か

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、政治学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


法は絶対か

 


ギリシア人は、この世界には何かしら神聖な秩序が存在すると考えていた。

 


それゆえ、人は世界の秩序に合致した正義の下に生きるべきであり、彼らにとって、法に服従することは何ら自由に反することではなかった。

 


にもかかわらず、ソフィストと呼ばれた知的革新者たちは、このような法すらも自明のものとはみなさなかった。

 


はたして法とは何であろうか。

 


いかに神聖なものであるとしても、所詮、人の作ったものではないか。

 


人の作ったものであるなら、絶対的なものではないはずだ。ソフィストはそのように説いた。

 


彼らの代表者とされるプロタゴラスは、「万物の尺度は人間である」といったが、いわば、すべては人次第であるというわけである。

 


当然、時と場所が違えば、適用されるべき法も違ってくることになる。

 


しかしながら、ポリスにおける政治にとって重要だったのは、市民が人ではなく法に従って生きることであった。

 


それも強制されるのではなく、自発的に法に従うことが肝心であった。 そうだとすれば、法の根拠が危うくなることは、すべての秩序を揺るがしかねない事態である。

 


永遠の秩序への関心をもったギリシア人であるが、法と永遠の秩序が無縁であるならば、どうして法に従う必要があるだろうか。

 


社会的な背景もあった。 ペルシャ戦争では一致団結したギリシアであったが、やがてアテナイとスパルタの反目が目立つようになる。

 


多くのポリスが両陣営に分かれて争ったペロポネソス戦争(前 431-前404年)は,それぞれのポリスの内政にも暗い影を投げ掛けた。

 


アテナイ派と親スパルタ派とが交互に権力を奪い、そのたびに各ポリスの法は変更された。

 


結果として、まさしく 「すべては人次第」というべき事態に陥ったのである。

 


感想

 


人の作ったものであるなら、絶対的なものではないはずだ。ソフィストはそのように説いたという。

 


おもしろい考え方だと思いました。

 


下記の本を参考にしました

 


『西洋政治思想史』

 宇野 重規著

 有斐閣アルマ

 

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