こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
リスクの現代的特徴
近代社会が発展し、先進国では、第2の近代というべき時代に突入する。
日本でも、 1995年頃から「リスク社会」と呼
ばれる状況が出現している。
それは、1つは、リスクの普遍化と呼びうるもので、どんな選択肢をとっても「リスク」が出現しているという状況である。
もう1つは、リスクの個人化というべきもので、リスクへの対処を個人的にしていかなければならないということである。
1997年に金融危機があり、日本もリスク社会に突入したことが明らかになった。大手銀行や大手証券会社の倒産や廃業が相次ぎ、また、「リストラ」という言葉が (経営の再構築という)本来の意味から離れて、会社の都合による解雇という意味で使われるようになり、たとえ大企業に入っても、倒産一失業する可能性とは無縁ではないことが認識された。
このころから「フリーター」という言葉が一般化し、学校を卒業しても、その学校に見合った職に就けないというリスクが意識されるようになった。
そして、日本社会において少子化が多くの人に認識されるようになり、一生結婚しない可能性、結婚しても離婚する可能性が、けっして人ごとではなくなっているのだ。
人生の重要な意味をもつイベント (教育、職業、結婚)において、1990年まではほとんどの人にとって計画すれば実現可能だった人生のコースが 「計画どおりにいかなくなる可能性」が高まる状況が広がったのである。
これを生活者のほうからながめれば、リスクをともなった選択を強制される事態が生じたことになる。
これを社会学者バウマンは、「強制的自己決定」 の時代だと述べた。
あなたは学校を選ぶことができるが、その選択によって就職が保証されるわけではない。
あなたは仕事や会社を選ぶことができるが、その選んだ仕事でうまくいくかどうかはわからない。
あなたは結婚相手の異性を選ぶことができるが、その相手と結婚できるか、結婚したとしても夫婦関係が一生続くかどうかはわからない。
そして、その選択をおこなったのは、自分自身であるから、その結果どのようなことが起きるかは、本人の責任、つまり、自己責任とみなされてしまう。
感想
その選択をおこなったのは、自分自身であるから、その結果どのようなことが起きるかは、本人の責任、つまり、自己責任とみなされてしまう、という箇所が印象的でした。
当たり前のように思えますが、リスクを背負っていると見ることもできるようです。
下記の本を参考にしました
『Do! ソシオロジー』改訂版
友枝 敏雄 他1名
有斐閣アルマ