こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
近代社会とリスク
リスクという言葉は、近代社会にできた言葉である。
それは、ルネサンス時代の、「危険を犯しても、あえて新しいことをする」という意味のイタリア語に起源がある。
だから、リスクを「危険」と訳してしまうと誤解が生じる。
前近代社会では、本来の意味でのリスクは存在しない。なぜなら、原則として、人びとは、「伝統」にしたがった行動をとることが期待されており、自分の人生を選択するという意識がほとんどなかったからである。
だからといって、 危険がなかったわけではない。
病気、飢饉、自然災害や外敵の侵入、圧政など 生きていくうえで今以上に「危険」な世の中であった。
しかし、これらの危険は、運命として突然降りかかってくるものであるため、事前に心配しても仕方がないものであった。
日常生活においては、伝統にしたがって親の職を継ぎ、伝統にしたがって結婚し、子どもを育て、というように、自分で計画するまでもなく、自分の人生の基本的な部分は事前に決められていた。
それが、各世代ごとに繰り返されたのである。
もちろん、前近代社会にも伝統に反したおこないをあえてする人も存在した。
親の職業を継がずに冒険に出たり、親の決めた結婚相手以外の人と結婚する人もいたが、それは、例外とみなされ、通常、制裁を受けた。
ときには、それが M. ヴェーバーが「カリスマ」と呼んだように、伝統を変える力となる場合もあったが、時間がたち「カリスマの日常化」とともに新しい伝統に取って代わる。
近代社会とは、伝統にしたがわないことが 「常態」である社会である。
それは、近代社会が、人間は自由であり、自分の人生を自分で選び取ることがよしとされる社会となったことによる。
その結果として 「リスク」 が生まれる。
近代社会になって、親の職業を継ぐ必要はなくなり、自由に好きな職業を選ぶことができる自由が与えられた。
しかし、選択肢が与えられたからといって、選択したものの実現まで保証されたわけではない。
職業選択の自由は、好きな職業に就けない、いや、職業自体に就けないリスクを生じさせたのである。
結婚も同じである。 親の取り決めにしたがわずに、結婚相手を選べる自由が与えられる。 だからといって、全員が選んだ相手と結婚できるわけではない。
選ぼうと思った人から断られたり、選ばない相手から告白されたりして、そもそも結婚に至らないリスクがともなうのである。
感想
前近代社会では、本来の意味でのリスクは存在しない。なぜなら、原則として、人びとは、「伝統」にしたがった行動をとることが期待されており、自分の人生を選択するという意識がほとんどなかったからである、という箇所が印象的でした。
夢や、やりたいことがないひとにとっては都合がいいのかもしれないと思いました。
下記の本を参考にしました
『Do! ソシオロジー』改訂版
友枝 敏雄 他1名
有斐閣アルマ