こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル 21世紀日本社会のゆくえ
21世紀日本社会を構想してみよう。
そこには大きく、2つの方向が見て取れる。
1つは、性別役割分業家族観を前提にした雇用制度と福祉制度を維持する方向である。
この方向のメリットは、家族観を変える必要がないため、人びとの合意を得やすい点である。
多くの人は、すでに性別役割分業家族を前提として自分のジェンダー・アイデンティティを形成してきてしまっているので、 家族モデルの変更は、アイデンティティの危機をもたらしがちである。
「妻が働きに出る」ことを、あたかも「自分の男としての活券にかかわる」問題であるかのように受けとめがちな男性。
既婚女性の多くが働くようになったことによって専業主婦であることに自信を失い不安になる女性。
家族モデルがジェンダーアイデンティティの問題にも結びついているからこそ、性別役割分業家族観にもとづく家族の実現可能性がすでに非常に低くなっているにもかかわらず、そこから脱却できないのではなかろうか。
しかしこの方向はデメリットも非常に大きい。 非正規労働者比率の拡大を抑えないと、財政や社会保障が破綻するのは、先述したとおりである。
ゆえに、性別役割分業家族観を維持し続けるためには、若年男性も非正規労働になってしまうような状況を変え、低賃金の非正規労働をあくまで既婚女性だけにとどめることが不可避である。
つまり、「格差」をかつてのように、男女間に限定することが必要である。
低賃金の非正規労働は既婚女性 (およ高齢男性)だけとし、壮年男性はなるべく「稼ぎ手」として正規雇用を保障する。
そうすれば男女間の不平等は拡大するが、既婚女性は夫の賃金をあてにできるから、生活できない家族は少なくなる。 生活も安定する。 男女が異なる役割を担うことにより、結婚しなければ暮らせない状況が強まるから、婚姻率も上がるかもしれない。
「昭和30年代」のような「貧しくとも皆が仲良く暮らしていた懐かしい時代」がよみがえるように思えるかもしれない。
「家族の時代」の到来である。
しかし誰にでもわかるようにこの「家族の時代」の実現は、実際には非常に大きな不満や社会的対立を生み出していくだろう。
実際の家族には、さまざまな問題がある。
死別も離別もある。 家庭内暴力も配偶者間暴力もある。 そのとき、 「男性の賃金に依存しなければ生きていけない」 社会制度であるなら 母子家庭はどうなるのか?
離婚者はどうなるのか? 結婚したくない女性はど
うなるのか?かつて、いや今も、女性問題として解決が望まれている問題がそっくりそのまま、いやいっそう厳しい問題となって残存することは明らかである。
そして何よりも問題なのは、男女間の不平等を拡大・固定化する方向性を選択することは、男女平等という国際社会において承認されている社会規範に真っ向から逆行することになるという、ことである。
こんな選択をおこなってよいのだろうか?
もした場合には、国際社会からの非常に強い非難にさらされることも覚悟しておくべきだろう。
もう1つの方向性は、性別役割分業家族観を維持しようとすることをやめ、多様な家族のあり方や多様な働き方を前提とした展用制度や福祉制度をつくっていく方向性である。
ここではこの方向を「ジェンダー・フリー」と呼んでおこう。
「男性稼ぎ手型」から脱却するということが、男女とも低賃金の不安定雇用になるということを意味するのであれば、誰もこれを望まない。
したがってこの方向性の実現可能性は、「労働の二極化」の是正、 すなわち正規労働と非正規労働の格差の是正にかかっていることになる。
もしこれが実現できるならば、柔軟性のある雇用制度と福祉制度をつくることは、固定的な男女2通りの働き方しかもたない場合に比べて、社会的な効率性を高めるだろう。
非正規労働者が過度に不利にならない均等待遇が実現することで、税金や社会保障の支え手も増える。
もっとも大きなメリットは、個人や家族のライフスタイル選択の自由を求める要求に応えることができる点である。
「仕事と生活」の適切なバランスを望む多くの人びとにとって、希望がもてる社会の実現を意味するだろう。
感想
今でも、性別役割分業家族観は根強く残っているように感じます。
下記の本を参考にしました
『Do! ソシオロジー』改訂版
友枝 敏雄 他1名
有斐閣アルマ