とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

リスクが最小限に抑えられていた戦後日本社会

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


リスクが最小限に抑えられていた戦後日本社会

 


日本では、明治時代には、職業選択や配偶者選択の自由は、法律的には存在 (跡継ぎは戸主の同意が必要という制限はあった)しても、現実的には、男性は親の職業 (ほとんどが農業)を継ぎ、親の取り決めによって結婚することが多かった(女性は父と同じような職業の男性と結婚する)。

 


能力的に特段に優れたものや一部の欧米思想の影響を受け意識的に進んだものを除けば、伝統からの自由とは無縁であった。

 


それゆえに、近代的な意味での選択による 「リスク」 を考慮する必要はほとんどなかった。

 


日本で、職業選択や配偶者選択の自由が、多くの人にとってあたりまえになるのが、第2次世界大戦後である。

 


しかし、1990年頃までは、学校制度や企業の正社員、性別役割分業型の家族がうまく機能していたために、選択にともなう 「リスク」をほとんど意識することなく生活を送ることができた。

 


近代社会では、職業選択の自由があるといっても、個人が勝手に就けるものではない。

 


医者になりたいといっても、誰でもなれるわけではない。 通常、職業に就くためのルートが敷かれており、多くの場合、特定の学校に行って教育を受けることが必要になる(医学部医者のように)。

 


そして、 戦後から1990年頃までの日本社会では、特定の学校(学部、学科)に入ることが職業選択を事実上意味するだけでなく、特定の学校に入りさえすれば、リスクがほとんどなく、特定の職業に就くことができた。

 


受験等で振り分けられ、どこかの学校に入りさえすれば、定職に就けないというリスクを心配することはなかったのである。

 


自分のそして、企業に入社しさえすれば、定年まで勤め続けることがほぼ確実で、とくに男性正社員であれば、年功序列にしたがって収入の増加も期待できた。

 


もちろん、戦後の高度成長期にも、転職や独立して会社を飛び出した人もいた。

 


しかし、あえてリスクが高い道を選ばず、人並みに働けば、定年まで安定した収入が保証されたのである。

 


結婚においても、戦後は自由に相手を選ぶ 「恋愛結婚」が普及する。 しかし、一方で、「見合い結婚」というシステムも根強く残った。

 


それも、親が取り決めるのではなく、相手が「イヤ」なら断れるという選択肢つきの紹介システムである。

 


異性に声をかけるのが苦手な人、職場に異性がいない人であっても、「釣り合った」 異性に出会えるチャンスが周囲(親、親戚、職場の上司) などによって自動的につくられた。

 


つまり、恋愛で出会いたいが、いざとなれば見合いがあるという 「戦略」 がとれたのである。

 


また、離婚に関しても、双方が同意しなければ離婚は難しい (双方が同意すればすぐ離婚できるが、一方が不同意なら調停、裁判になり、時間的・心理的コストがたいへん高かった)。

 


そして、結婚すれば、主に夫が外で働いて、 妻が主に家事をするという生活で、そこそこ豊かな生活を築く見とおしがもてたのである。

 


つまり、1990年頃までは、高いリスクの選択肢を選ぶこともできたが、ローリスクの選択肢を選ぶことができた。

 


自分の希望を少しあきらめて、自分の実力相応の学校に行き、実力相応の会社に入り、自分と釣り合った相手と結婚することができた。

 


選択の自由が狭まるというコストを支払うことになったが、結果的に安定したライフコースを送ることができるというメリットがあったのである。

 


感想 

 


昔のように、ローリスクの選択肢を残すことも大事なのではないかと思いました。

 


下記の本を参考にしました

 


『Do! ソシオロジー』改訂版       

 現代日本社会学で診る

 友枝 敏雄 他1名

 有斐閣アルマ

 

flier(フライヤー)