こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
ワークフェアやアクティベーションが就労と福祉を結びつける考え方だとすると、就労と福祉を完全に切断してしまおうというのがベーシックインカムの考え方である。
ベーシックインカムは、ワークフェアとは反対の極にある社会政策の再編方向である。
ベーシックインカムとは、市民権をもった個人が、無条件に権利として定期的に受け取ることのできる一定額の所得のことを指している。
市民権の与えられる範囲がどこまで及ぶかは別途議論されなければならないが、ひとたび市民権を付与された個人は、性別、年齢、配偶者の有無、扶養家族の有無、障害の有無、職の有無求職の意思の有無、等々とは無関係に、定期的に受け取ることができる、というのがその基本的アイデアである。
これまでの福祉国家は、年金、各種手当、生活保護などの社会保障制度と税制とによって所得再分配をおこない、これによって国民の最低生活の保障をおこなってきたが、導入されると、これらのすべては廃止され、一本化されることになる。
これまでのような給付ごとに定められた詳細な受給資格や受給のための煩瑣な手続きは廃止され、市民であることが証明されれば、全員が一律に権利として受け取ることができるようになるのである。
この構想を最初に聞いたひとの反応の多くは、 実現可能性のない夢物語として一笑に付すというものである。
その理由は2通りあって、1つは財政的なものである。
公的年金の将来にさえ不安を覚えるような財政状況のなかでは、の財源を見つけ出すのは不可能だというのがその理由である。
もう1つは道徳的なもので、働いていないひとが働いているひとと同じように給付を受け取ることができるのは非常に不公平だ、というものである。
ここで注意しなければならないのは、財政的に可能かどうかは、その額をどのくらいの水準に定めるかによって変わってくるということである。
たとえば、月額20万円の導入は財政的に不可能かもしれない。しかし、現行の現金給付を廃止し、税制における諸控除を廃止すれば、新たな財源を投入することなしに一定の水準に導入することはできる。
そのための試算をおこなっている研究者も少なくない。
これに対して道徳的理由による反対論への論駁は難しい。
このため提唱者の間では、道徳的に正当化するための試みがなされている。
たとえば、働いている人間は自分の力で生活していると思いがちであるが、彼ら彼女らも過去の世代の労働の成果に依存しているという点では、働いていない人間と同じである、といった議論がある。
また、ある人間が職を得たということは、他の誰かの職を奪ったことになるのだから、幸運にも職を得た人間はそうでない人間に対してなにがしかをなさねばならないといった議論もある。
感想
画期的な提案だと思いますが、課題もあり、実現は難しいだろうと感じます。
下記の本を参考にしました
『Do! ソシオロジー』改訂版
友枝 敏雄 他1名
有斐閣アルマ