とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

ドライな人間関係になる背景

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


今日的な関係性

 


現代人がはまっている親密な関係は、はたして近代化初期の社会学者たちが考えたゲマインシャフト的ないし第1次集団的なものなのであろうか。

 


現代人は前近代への逆戻りをはたしたということなのか。

 


もちろんそうではない。

 


伝統社会における親密な関係は、家における血縁や村における地縁に典型的なように、カバーする生活領域の広さと、 つきあいの深さと、そしてつながりの継続性 (場合によっては永続性)を具備していた。

 


その意味でそれは濃い関係といえる。

 


これに対して今日的な関係性は、相手との絆を部分的なものに留めがち、という特徴を有している。

 


1973年から5年ごとにおこなわれているNHKの意識調査では、1973年から2008年の間に近隣・親戚・職場のいずれにおいても全面的なつきあいをよしとする人の比率が大幅に低下し、より浅いつきあいを志向する人が増えていることが確認された (NHK 放送文化研究所編)

 


また、親しい友人とのつきあいに関する2003年

のデータにおいても、「どんなことでも話したり助け合ったりする」 が 49.7%であるのに対して、「お互いのことに深入りしないで気楽につきあう」 は 47.0%となっている(NHK放送文化研究所編2004)。

 


親しい友との間ですら深い関係を避けている人

が半数近くもいるというのは注目に値しよう。

 


ならば、今日的な親密性が伝統的な関係とはちがってよりドライなものだとして、それは近代的な存在ということができるであろうか。

 


どうも、そうではなさそうだ。

 


近代人はゲゼルシャフト的=打算的な関係の場とゲマインシャフト的=親密な関係の場とを分離し、それぞれを公的な世界と私的な世界とに割り当てたが、そのいずれにおいても確固たる個人的アイデンティティの存在が理念的な基軸となっていた、ということを見落とすわけにはいかない。

 


近代的な関係の理念とは、そもそも自律的な個我をめぐって形成されるものである。

 


感想

 


最近の若者のあいだでは、空気を読むことが大事だと言われますが、ドライな関係になるのはそれが理由だと思いました。

 


下記の本を参考にしました

 


『Do! ソシオロジー』改訂版       

 現代日本社会学で診る

 友枝 敏雄 他1名

 有斐閣アルマ

 

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