こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
引きこもらなかった現代人
近代化の進展にともなって、諸個人が独立した主体として自律的に意思決定すべきだという理念があまねく浸透したら、人と人との関係はどうなるのだろう。
各家に1台の固定電話の時代から1人1台の携帯電話の時代へと変わった今、自らの分身たるケータイを身につけ、またネットで世界とつながっているパソコンを保有していれば、もう自室から外に出る必要などなくなってしまうのではないか。
組織や集団を重んじる会社の世界ですら、サテライト・オフィスや在宅勤務といったものに脚光が浴びせられている。
通信・交通・流通などさまざまな分野での著しい
技術革新は、時空を大幅に再編し、時間と空間による諸個人の拘束をしだいに解きほぐしてきた。
これにより人びとは、他者からの干渉をかつてよりもずっと低い水準に抑えることができる。
では、 独立独歩の理念の浸透と、それを支える技術の進展によって実際に人びとは自分という枠のうちへと閉じこもってしまったのであろうか。
けっしてそうではない。
たしかにそれを懸念する声は、しばらく前にはよく聞かれた。
たとえば、とくにパーソナル・メディアの技術革新に順応する能力の高い若い世代は、もう自室から外には出たがらず、他者との関係を遮断しがちになって、個室で多くの時間をすごすようにな
るのではないか、と。
管理社会化・大衆社会化のさらなる進行を憂える人たちは、諸個人が生身の人間との交流を避け、自室に引きこもってメディアや他の諸制度と直接対峙してしまう危険に思いをめぐらせたわけである。
しかし現実に起こった現象はその逆だった。
今日、大学生たちは群をなしてキャンパスを闊歩し、あちこちで友だちと長い時間をすごす。
中高生たちもしばしば友人と一緒に外出し、ときに理由もなくしゃがみこんで親密な場を形成する。
彼らの多くは自らのうちに閉じこもるどころか、
むしろひたすら他者と一緒にいるべく努めているのである。
やや冷めた眼でながめれば、それはときとしてうら寂しい光景に映ずるかもしれない。
しかし当事者の視点に立てば、友人たちと一緒
にいるのはごく自然な行動ということになろう。
注目に値するのは、予想に反して現代人の多くがきわめて社交的に振る舞っているという事実それ自体だ。
ここで若者がどのようなときに充実感を覚えるかについて、調査データで見てみよう 。
2007年調査では「友人や仲間といると」(74.6%)がもっとも高く、以下「スポーツや趣味に打ち込んでいるとき」(59.6%)、「家族といるとき」 (41.5%)、「仕事に打ち込んでいると
き」(32.8%)と続いていく。
2003年から2007年にかけての変化では、とくに「家族」の高まりが気になるところだが、大きく見れば、ここ30 年ほどの間で順位はほとんど変動していない。
「友人・仲間」はこの間、ずっと1位をキープしている。さらに、他の項目との対比で注目されるのは、「友人・仲間」 が急上昇を遂げてきたという点だ。
若者たちのうちで 「友人・仲間」志向は、他を圧倒し、きわめて高い水準を保持するまでになっているのである。
感想
個人の時代と言われますが、友人や仲間が大事だと考えているようです。
意外な感じがします。
なぜなのか気になるところです。
下記の本を参考にしました
『Do! ソシオロジー』改訂版
友枝 敏雄 他1名
有斐閣アルマ