とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

社会と個人の対立

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


「社会」が個人に要求する役割

 


デュルケームは「社会と個人の原理的対立」について語っている。

 


社会という全体が個人に対してそれ自身のさまざまな圧力をかける一方、個人自身は自らを一つの全体的存在として、かけがえのない一回限りの生として全く個性的なユニークな存在として位置づけようとする。

 


その間の対立のことを彼は指摘している。

 


この対立は、まず自律化した制度としての社会が、絶対的なものであるかのように私たちの「生」に迫ってくるというかたちでやってくる。

 


その基本には「生」に対するルールの先行性という事実が存在する。私たちは何もルールがないところから社会を作り上げるという経験をしているわけではない。

 


より複雑なルールや諸制度がすでに機能している状況に、私たちは生まれ落ち、そうしたルールの強制的な通用力を(いったんは)うのみにさせられる体験を「親のしつけ」「学校の教育」などをとおしてもっている。

 


しかも近代社会にはさまざまな制度や機関が形成され、身につけなければならないルールや常識が複雑に織り込まれている。

 


しかも制度の複雑性は、社会が現在に近づけば近づくほど高まる。

 


そしてこのことは、社会が全体的制度として個人の「生」に物象的な客観物として外側に対立しているという事態だけを指すのではない。

 


実は社会と個人の対立は「個人そのものの内部」で起こっていることが問題なのだ。

 


それはつまりこういうことだ。

 


人間はさまざまな複数の社会的役割を担って生きる存在である。

 


あるいは役割という社会的概念には還元できないような「生まれついてもつ衝動や関心」を帯びた存在でもある。

 


問題はそうした役割の一つひとつは、人間の能力や意欲を丸ごと要求したり実現したりするものではなく、そうした諸力のごく一部を要求するものが多い。

 


しかも身に帯びる役割が相互に矛盾し、異なる性格の要求が一個人に複数つきつけられることも多

い。

 


感想

 


絶対的なものであるかのように私たちに迫ってくるというかたちでやってくるという箇所がおもしろいと思いました。

 


絶対的な権力として迫ってくる感じがします。

 


下記の本を参考にしました 

 


ジンメル・つながりの哲学 』

   菅野 仁

   NHKブックス