とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

他者をすべて理解できるわけではない

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


他者をすべて理解できるわけではない

 


ジンメルは、他者との相互的関係が成り立つための基本的条件を取り出して考えることができると述べている。

 


社会関係が成立するということは、自分のことさえ完全には理解しつくすことはできない人間どうしが出会うわけである。

 


相手のことをすべて理解した上で関係できるわけではない(しかしややもすると私たちはそうしたことを人間関係の理想として想定しがちである)。

 


ひとりの人間が個人的な接触によって他者について得たイメージは、あるズレによって条件づけられている。

 


このズレは、不完全な経験、不十分な視力、共感もしくは反感にみちた先入見から生じる単純な錯覚ではなく、むしろ現実の客体の性質に対して原理的な変形を加えるものなのである。

 


この文章は、他者と関係をもつ際に、その人の「個性」そのものや全体像そのものを知らなければほんとうの関係ではないと考えることの危うさ、さらにぼく(私)は彼(彼女)がどんな人間かについてほとんど知っている(または知るべきである)と思い込むことの傲慢さにあらためて気づかせてくれる。

 


また立場を逆にみれば、私たちはややもすると他者と関係をもつ際に相手はほんとうに自分を理解してくれるだろうかとか、ほんとうに受け入れてくれるだろうかとつい期待しがちである。

 


そうした可能性が見えそうにない場合、私たちは傷ついたり、あるいは他者との関係そのものを忌避したい気分に駆られたりする。

 


しかしそうしたことも、ジンメル的視点からすれば、社会関係についてのないものねだりからくる恐れのように思えてくる。

 


人間とはそもそも他者について、完全な知識をもつことが拒まれていることが前提なのだ。

 


人間の社会関係は、多かれ少なかれ「一般化されたカテゴリー」において他者を理解することが前提になっている。

 


このようにとらえられた他者をジンメルは「一般化された他者」と呼ぶ(この概念は、アメリカの社会学者G・H・ミードの自我論によって有名になった)。

 


感想

 


他者を完全に理解して関係を結ぶことはできないとは薄々感じていましたが、改めて指摘されるとやはりという感じがしました。

 


この前提に立てば、気楽に他人と向き合うこともできると思いました。

 


下記の本を参考にしました 


ジンメル・つながりの哲学 』

   菅野 仁

   NHKブックス