とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

闇金融業者は悪者か

こんにちは。冨樫純です。

 


独学で、社会学法哲学を学んでいます。

 


そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。

 


タイトル 

 


本当の被害者はだれだ?

 


金貸し、とくに闇金融業者に対する批判を個別に検証してみよう。

 


批判①

 


闇金はヤクザと同類であり、もしも借金を返済できなければ、簀巻きにされて東京湾に浮かぶことになる。

 


ここで強調しておきたいのは、闇金から金を借りた人は、通常、合意のうえで業者と契約結ぶ。

 


「お金はきっと返します」と約束しておいて、そのあとで契約を反故にした人間を「被害者」と呼ぶのは不適当である。

 


この場合、真の「被害者」は闇金融業者である。

 


もしも利息だけでなく元本すら返ってこなければ、彼のおかれた状況は泥棒にあったのと同じである。

 


契約に基づいて金を借り、返済を拒否し、自分のものではない金を強奪したのだ。

 


金貸しの事務所に押し入って金を奪うのとなんのちがいもない。

 


もちろん、だからといって借金を返さない人間を殺してしまうのは明らかにやりすぎである。

 


闇金融業者が貸し金の回収に暴力を厭わないのは、その業界がヤクザに支配されある。

 


だがこれは、言うなれば、わたしたちみんなが望んだことなのだ。

 


裁判所が債務者に借金の返済を命じず、高金利の金を貸すことを禁じるならば、そこにヤクザがつけこんでくる。

 


麻薬、ギャンブル、売春、闇金融、一定の需要が存在するにもかかわらず国家が法で禁止した商品は、まともな会社が手を出せないのだから、非合法組織が一手に扱うしかない。

 


禁酒法の例を引くまでもなく、これらの〝違法〟商品が本質的に犯罪的なのではない。

 


国家による法的禁止が、まともな商売をヤクザの独占市場に変えるのだ。

 


批判②

 


闇金融業者は、貧しい人たちに高利の金を貸すことで彼らを食いものにしている。

 


「金持ちは高利貸しで儲け、貧乏人が借金で苦しむ」というのはよく耳にする話だが、これは事実

に反する。

 


ある人を貸し手にするか借り手にするかは時間選好率のちがいであり、収入の多宣は関係ない。

 


大企業であっても社債を発行すれば借り手である。

 


なぜなら社債は借金の一種だから。

 


大金持ちであっても、彼が銀行から融資を受けて不動産などに投資しているなら、明らかに貸し手ではなく借り手である。

 


それとは逆に、銀行に小金を預けている未亡人や年金生活者は、銀行を利用した金貸しということになる。

 


闇金の業者が、貧しい借り手に通常よりも高い金利を課すというのは事実である。

 


しかしこの言い方は、誤解を招きやすい。

 


より正確には、「闇金の業者は、金持ちか貧乏人かにかかわらず、よりリスクの高い―すなわちより返済の可能性が少ない借り手に高い金利を課す」のだ。

 


リスクを軽減するひとつの方法は、返済が滞った際に換金できる担保を押さえておくことだ。

 

 

 

一般に金持ちは、貧しい人々よりも資産価値の高い担保を提供できるので、それに応じて融資金

利は低くなる。

 


しかしこれは彼らが金持ちだからではなく、彼らが破産したときに、金貸しが被る損失がより少なくてすむからにすぎない。

 


貧しい人々の家は、金持ちの邸宅のような防火設備を完備していないとの理由で、より高い火災保険料を請求されている。

 


同様に、不健康な生活を強いられる彼らの健康保険料は高額になり、食料品の価格ですら、貧困地区は高級住宅街のスーパーマーケットより割高になっている。

 


犯罪発生率の高さが、警備費や盗難保険料となって食料品価格に上乗せされるからだ。

 


こうしたことはすべて、ほんとうに残念なことである。

 


しかしそれは、貧乏人に対する差別の結果ではない。

 


高利貸しは、保険会社や食料品店の経営者と同様に、自らの投資資金を守ろうとしているだけなのだ。

 


感想

 


そもそも借りたお金は返すという大前提があるので、借りた人を批判すべきだと思いました。

 


下記の本を参考にしました 

 


『不道徳教育』

 ブロック.W 他1名

 講談社

 

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