こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
ストーカーという恐怖
DVの加害者は、相手が自分から離れて自立しようとしたとき、とても激しく反応することがよく指摘される。
別れ話を切り出したときにこそ激しい暴力が起きたり、家を出た相手の居場所を突き止めるため、どこまでもどんな手段を使っても探そうとしたりするような、独特の執着や支配志向がある。
ストーカーという言葉であらわされる行動は、したがって、多くの場合、DVと関係して生じている。
ストーカーとは、「ストーキングをおこなう人」のことで、ストーキングとは、「特定の相手に一方的に尋常でない執着をよせて追いかけ回す行動、相手がいやがっているにもかかわらず、その気持ちを無視して監視・追跡を繰り返す行動のこと」とここではしておこう。
その行動は継続性をもち、相手の拒絶を受け入れず、徐々にエスカレートしていく特徴があるという。
ストーカーには、見知らぬ人からのものや、有名人や専門職従事者をつけねらうタイプのものもあるが、もっとも多いのは元夫婦や元恋人、交際を断られた相手などのDV型だといわれている。
ストーキングは、被害を受けた人の日常生活や人間関係を破壊してしまい、非常に大きな恐怖感や人間不信、健康被害などをもたらすものなのだが、この被害もまた、世間の人には理解されにくい。
それは特定の個人だけを対象にしておこなわれる行為なので、他人には被害の全貌がとらえづらいためである。
加えて、継続しておこなわれる行動の積み重ね、だんだんエスカレートしていくプロセスによる被害なので、一つひとつの行動をとってみてもたいした問題だとは思われない。
たとえば、花束を贈ったり、家の前に立っているという行動だけでは、「犯罪行為」の要件にあてはめることはむずかしい。
けれど、断っても断っても50日間花が贈られ続けたり、いくら拒絶しても100通もメールを送られたりしたら、受けた側はとてつもない恐怖や、無力感、 人の尊厳を侵害された気持ちを抱いてしまうのである。
また、ストーキング被害の現状をよく知らない者は、「はっきりと断らないからだ」と思ってしまうことがあるが、むしろ、真面目にはっきりと断ったり、抗議したりしている人のほうが、ストーカーの標的になってしまう傾向があるとさえいわれている。
感想
昔から存在していたように感じますが、法律化されたきっかけが疑問として残りました。
下記の本を参考にしました
伊藤公雄 牟田和恵編著