こんにちは。冨樫純です。
独学で、社会学を学んでいます。
そこから、個人的におもしろいと感じたところを引用し、感想を書きたいと思います。
タイトル
DV、ストーカー問題とジェンダーの関係
定義上、DVやストーカーは性別に関係なく、男女は加害者にも被害者にもなりうる。
しかし、国連世界女性会議ではDVを「女性に対する暴力 (Violence Against Women) 」 という表現で、 セクシュアル・ハラスメントや性暴力などとともに、女性が被害者となるものとして位置づけてもいる。
そう位置づけてこそ、よく見えてくる問題の構造がある。なぜDVが起きてしまうのか 、その主要な原因の一つが、この社会のジェンダーが人々にもたらす効果にある。
ここでいうジェンダーとは、性別によって人を異なる条件におく社会の作用(生活力や社会的地位、もっているネットワーク、周囲の期待)などという意味であると同時に、一つのできごとを認識する際の人々の認識枠組みの(対象の性別によって生じる) 歪み、という意味でもある。
まず、圧倒的に多くのDV加害者は男性であり、被害者は女性である。DVやストーカーの行動は確かに尋常ではない。
しかし、それは単なる精神疾患として「異常」「例外的な人」のレッテルを貼るだけですませられない。
暴力は女性側があげる離婚理由の第2位であるほど、DVは頻繁に起きている。日常生活ではふつうの人、ちゃんと仕事をし、職場や友人には優しくて礼儀正しい人も加害者には含まれている。
なぜ、男性はDVの加害者になるのか。その問いに対し、「男性は、出世の競争やリストラなど、会社でのストレスがたまってしまうから」という答えを思い浮かべる人もいるだろう。
けれども、そこで見落としてはならないのが、ではなぜその人たちは、原因をつくった会社の上司や仕事上のライバルに対しては暴力をふるわず、家に帰って妻にだけ、その八つ当たりをするのかということである。
「夫は妻になら虐待してもよい」という考えがあるとはいえないだろうか。
また、妻や恋人に権力をふるうことでプライドをつくりあげる男性、「家族のリーダーになることが一人前の男性である」というようなこだわりをもっている男性がいる。
ストーキングについては、「相手が多少いやがっても強引に誘うべきだ」という、活発な性的行動を男性に期待する風潮が、それを促し、許容してきたといえるかもしれない。
現代社会は男性をDV加害者に育ててしまう社会である。
女性の被害者が結婚から抜け出せない社会構造もある。
もし、DVの被害を受けている女性がいても、離婚がしやすく、相手との関係が絶ちやすい社会であれば、もう少し状況は改善しているかもしれない。
しかし、今日の日本社会では、多くの人が結婚して家計を一つにしていることを前提に、性別役割分業タイプの家族を基準として、会社の雇用や賃金、社会保障などの社会制度がつくりあげられている。
母子世帯は、仕事をするうえでも、社会的な評価の面でも非常に不利な立場におかれているのが実情である。
こうしたことも、相手との関係を見直し、関係を断ち切る力をもてなくさせてしまう原因の一つである。
男性のほうが被害者の場合を考えてみても、やはりジェンダーの作用は大きい。
男性の被害者は、いくらつらい思いをしていても、その被害は理解されにくい。男性が女性に支配されること自体が恥とされ、笑い話としか受け取られかねず、ましてや性的被害については、男性の被害は共感されにくいからだ。
DVやストーカー被害は、恋愛や性など個人的な問題として起こり、他人にとって、被害当事者
と一緒に怒ることや、解決のために自分も行動する必要性を感じることは、なかなかむずかしい。
しかし、その加害動機を生み出す要因、またその深刻さを隠蔽し、被害から脱出する力を奪う要因
は、社会がつくりあげたものであり、やはり誰も「自分は無関係」といいきることはできない。
感想
DVやストーカーは、個人的な問題だけでなく、社会的な問題と捉えることができると思いました。
下記の本を参考にしました
伊藤公雄 牟田和恵編著